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大工原正樹特集上映 関西に来たる
今週末、耳よりな特集上映が、大阪のプラネットシアターという劇場で公開されます。
↓↓↓↓
大工原正樹特集上映 ~エロチックコメディからサイコサスペンスまで ~

daikuhara.jpg

各上映後に監督さんのトークがあります。
18(日)17:00からの回は特別トークゲストとして高橋洋さん(『恐怖』公開中)もいらっしゃるそうです。

【2010年07月17日 から 7月18日(日) まで 】
7/17(土)Aプロ 13:00~ Bプロ 15:00~ Cプロ 17:00~
7/18(日)Dプロ 13:00~ Eプロ 15:00~ Cプロ 17:00~

大工原正樹監督という御方は、映画美学校などで講師をされているそうです。 常本琢招さんや高橋洋監督とも、つながりがある御方だそうです。
 今年のシネドライブ2010で大工原監督の『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』『赤猫』とを拝見しました。シネヌーヴォXが満員になりました。観客が通路に座りながら観ているような状況でした。ちょっとだけ感想を書きます。

 『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』
全体的に大和屋竺の気配が漂っているように思えました。タイトルバックの歌がそう思わせるのでしょうか。
 兄弟(長宗我部陽子さん、岡部尚さん)が故郷に帰ってきます。故郷は閑散としています。時間軸が現在と過去を行ったり来たりしながら、ついには空間も歪み始め、トンネルに辿り着きます。そのトンネルで・・・。
映画館に貼ってあるポスターの種類が、全部異なっているところが印象的です。

『赤猫』
 あるマンションの一室に若い夫婦が居ます。妻(森田亜紀さん)が夫に色々と告白しながら映画が進行してゆきます。夫婦間の会話が繰り広げながら、思いがけない方向に、映画のスケールが広がってゆくところが凄かったです。

もう一度、観に行きます。宜しくお願いいたします。

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【2010/07/12 22:12 】 | 自主映画 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
第3回 ~桃まつり present うそ~ を振り返って その2
 とまぁ、昨日まで、桃まつりの感想を断片的に書いてきました。
 追加で、今回、色々と個人的に感じたことを述べます。

 1回目の桃まつりも観てますが、あのときと比べると撮影と音声の技術はかなり向上しています。(昨年の2回目は何も観なかった)。近年の自主映画全体にも言えることですが、技術レベルは年々、向上しているように思います。撮影機材の進歩なのでしょうか。

 作品の出来・不出来はともかく1回目の桃まつりは、個人的・内面的な映画が多く思われ、観ているこちらは非常に疲れてくる映画が並んでいました。3回目の桃まつりですが、結構な粒ぞろいな作品が揃っていました。どれもこれも安心して観られる、というか。見終わった後、1週間くらいかけて、後からジワジワと効いてくるような感じです。

■”日常”にとらわれ過ぎだろうか?
sirome.jpg 5/29、5/30に上映された、各監督の過去作品の特集上映を観て、のけぞりました。驚きました。特に『レスラージャンヌ』『』『』が突出していたでしょうか。『』や『』も好きです。桃まつり本編よりも、特集上映の方がオモロかったやん・・・、いや何でもない。

 これら特集上映の内容は、桃まつりでの作品に比べて、発想が自由です。
 今年の桃祭りは”うそ”をテーマに掲げながら、”日常”を描くものが多かったように思います。ホラー映画の装いの『Falling』でさえも、派遣社員のOL達の会社の日常生活が土台となって、お話が語られています。吸血鬼になってから、ようや自由を手に入れる、みたいに思えます。

 ライリー警部さんがトークショー後の質問時に「”もも祭り”の劇中人物のキャラクターには、ある種の傾向がある。『グラン・トリノ』に出てくる悪役のように、悪い人は”もも祭り”に出てこない。みんな良い人、可愛い人に見える」、みたいなこと仰っていたように思います。確かに私達の日常に、実際、そんなに悪い人は見当たりません。せいせい亀田兄弟とか朝青竜程度でしょうか。

 どうも、”もも祭り”の監督さんたちは日常を退屈なものと考えておられるのかしら?退屈な日常を面白くするためにはどうするか。『shoelace』『愚か者は誰だ』のように日常に亀裂を生じさせるような発想が生まれるのかしら。日常から離れようとして、山奥の森林に行き着く『迷い家』、ドライブ旅行に出かける『きみをよんでるよ』が出来上がるのかもしれませんね。

 そこで次回のテーマは、日常から遠く離れて、”SF”とか”怪奇”とかぶっ飛んだものにするのも、面白いかな、などと考えてしまいました。

■トークショー後の質問コーナーでは何を質問すれば良いのかしら?
 映画の上映がひとしきり終わって、トークショーが始まる。そのトークショーが終わると、観客からの質問コーナーに移行する。「何か客席の皆さんから、ご質問はありませんでしょうか」、と司会者が客席に発言を向けようとする。だけど、すぐには誰も手を挙げない。しばしの沈黙が場内を包む。
 参ったなぁ・・・、この沈黙にどうも耐えられん。
 この機会を逃すものか、私は手を挙げて色々と聞いていまう。遠路はるばるいらっしゃったのだから、質問のひとつでもしてあげましょうよ。と、その反面、聞きたいことがあったら、後の打ち上げの席で尋ねれば良いじゃん、とも思う(いや、何でもない)。

 いや、そうじゃない。”観客からの質問コーナー”というものは、大勢の観客を前にして、自主映画作家が自分の考え方や見識を表明する場なのでありましょう。選挙に出た候補者が、エベレスト、じゃなかった”マニフェスト”を宣言するようなものであります。で、そのマニュフェストを引き出すような質問の仕方を、観客もしなければならないという。結構難しいですね(^_^;;)

 色々と書いてきましたが、今年の”もも祭り”は面白かったです。ありがとうございました。

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【2010/06/04 23:47 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第3回 ~桃まつり present うそ~ を振り返って その1
 第3回 ~桃まつり present うそ~ を自分なりに振り返ってみたいと思います。

■繰り返し観ました
 今回、私は、AプロとCプロをそれぞれ2回づつ、Bプロを1回観ました(観過ぎ?いやいや良いんです。今の自分には、これらの映画が必要だったのです)。 通ったらパンフレット(これが結構出来が良いのですよ)を3冊も頂戴しました。うふふ↓↓↓
momo.jpg
 あれから色々な人に、今年の「桃祭りは何が一番面白かった?」と聞いてみましたが、十人十色の意見が返ってきます。
 『テクニカラー』が良かったという人もいれば、『Falling』が良かったという人もいれば、『Her shoe lace』が良かったという人もいれば、『愚か者は誰だ』が良かったという人もいます。人によって物の見方は異なるものですね、当たり前のことですけど。

 私個人にとって、今年の桃祭りで最も印象に残ったのは『カノジョは大丈夫』『1-2-3-4』の2本です。この2本が大きかったでしょうかね。上映終了後から一週間が経ちましたが『カノジョは大丈夫』の印象的なショットの数々とギターの音楽が、ふとした瞬間に、頭の中で繰り返し再生されてしまうような状態です。

 私は、ある映画について感想を述べるとき、主に映画のつくりがどうなっているか、という観点から語る傾向にありました。カメラ位置が、ショット間の繋ぎが、お話の省略の仕方が・・・などがどうなっているかを頑張って語るという。私はこんなことに気付いたのだ、えっへん、どうだ凄いだろう、みたいに一人で悦に入っているという。この癖は死ぬまで直らないのでしょうか・・・。マズイことだと思います。

 ~そうじゃない、まず画面に映っている人間をもっと見なさい。~と、これが桃まつりから得た教訓でありました。『カノジョは大丈夫』の後半、明石幸子(牧野鏡子さん)が吉田輝男(前野朋哉)の家を出た後、夕闇の空が画面いっぱいに広がる。
 このショットを挟んで、次の場面の彼女に何らかの変化が生じていることを見逃してはなりません。

■映画監督は寛大でした
 5月28日(金)の夜のこと。上映終了後に映画監督さん達と飲み屋に一緒に入る。恐れ多くも、玉城陽子監督の前の席に座る。あぁ緊張して何を喋ったら良いのか分からない。『1-2-3-4』の感想を監督さんに述べようとして、「僕には、この4人の男女は幸せそうに見えません。」などと申してしまった。激しく後悔しています。
 ところが「人によって色々な物の見方があって良いと思いますよ~。」と笑顔を浮かべながら仰ったのでした。寛大で素敵な御方でした。そして、もう一度見直してみたら、今度は、『1-2-3-4』がとても面白く思えたのでした。

 長くなってきたので、続きはまた明日にします。

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【2010/06/03 22:02 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
桃まつり2010 特集A、B、C
5/29(土)、5/30(日)に今回の桃まつりに参加されている、監督さんたちの過去の作品を鑑賞しました。とても素敵な時間を過ごしました。
『The French Kiss』『白目物語』(玉城陽子監督)や『レスラージャンヌ』(渡辺裕子)『そこへ行く』(福井早野香)などなどを観てびっくりしました。非常に自由にやられているな、と感じました。
 これらの特集上映の方が”桃まつり”の本編よりも、ちょっぴり面白く思えたのです(すまん、竹本さん、大野さん)。
frenchi.jpg 『The French Kiss』は、80年代の8mm自主映画のノリが乗り移ったかのような、出鱈目さと面白さが詰まっています。
 『白目物語』での、血塗れの死体をベッドの下に発見しても、声一つ立てない看護婦。そしてガラスの破片を手首から冷静に抜き取る姿に、観ていて大変ドキドキしました。檻に入れられている女性は、ごく普通の人です。しかし写真を見る角度によって、目の光加減が凄く力を持っています。
 その彼女が看護婦を前にして、鉄格子に顔を近づける場面。鉄の柱を中心に、彼女の目の位置が左右非対称に観えたりして、コワく観えてしまうから不思議です。
【2010/06/01 22:58 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『幸恵』 安川有果監督 第2作
sachie.jpg 
 安川有果監督の第2作目の作品。”桃まつりpresentsうそ”の特集上映にて鑑賞。
 『幸恵』を観るのは今回が2回目となります。
 こうして観直してみると、中年男性(蟷螂襲)と幸恵さん(秋枝友子)の演技の温度差がちょっと気にかかります。あのオジさんの、いかにも演技してます、みたいな”濃さ”は演出意図なのか、そうなってしまったのか?
 年長者をどうやって描くか、が今後の課題でしょうか。

その反面、若い男女は大変生々しく描けていて、ドキドキさせられました。
元彼「お前、一度でも俺のこと好きだったことあるか?」
幸恵「・・・多分、無いと思う。」
このやり取りは、観ていて本当にぞくぞくしました。

 安川有果監督は黒沢清がお好きと聞いています。
 確かにその片鱗は、随所に見受けられます。基本的に固定カメラでありパンもズームもしません。引きの画と長回しが多用されます。向き合って会話する人達を切り返したりもししません。
 車の前面にカメラを置いて延々と車内の男女を撮り続ける場面などは、黒沢清の映画に頻繁に登場する車を思い起こさせます(もっとも黒沢清の映画では、セットの車の中で人物に演技させるという徹底ぶりです)。

■光と音の氾濫
 全編を通して、光と音への感性が研ぎ澄まされているように思います。
 安川有果監督という御方は、恐らく画家的な資質が備わっているのだと思います。風景の中に、いかにして人物を存在させるか。或いは人間をいかにして風景に溶け込ませるか。その場に存在する、光と音と匂いを映像の中に定着させることができるか、ということへの拘りを感じることができます。

 映画の冒頭、幸恵が自室から出てきて、水道の蛇口をひねります。このとき、蛇口から飛び出る水の”ジャーっ”という生活音が異様に強調されます。
 そして幸恵が家から出たとき、画面いっぱいに、美しい夕暮れのウロコ雲が拡がります。このウロコ雲に私は心を打たれます。『カノジョは大丈夫』でのラスト近くの場面転換の際でも見られた、美しい空です(あのときは朝焼けだったでしょうか)。

 もう、その後の展開は光と音の洪水です。
 幸恵がロシア人を探しにいた準備中の店先では、掃除機のバカでかい音がうなりを上げます。
 電車が画面に現れると、信じがたいような凄いショットになります。
 踏切に幸恵が近づくと、遠くから電車が近づいてきます。このときの電車のライトに光の差し込み方が素晴らしい。
 駅で幸恵が電車を待っている場面。遠くから電車が近づいてきたとき、ここでも電車のライトの差し込み方が素晴らしいのですが、幸恵の髪の毛がフワッと舞い上がる瞬間が美しい。感動的なショットです。
 光と音が作用し合った瞬間を画面に収めることへの、美的なこだわりを感じます。恐らく作者は、普段生活していても、こういう光と音が作用する場面に遭遇したら、泣き出したいほど感動する性格なのではないでしょうか(想像で言っています・・・)。

■凄いロングショット
 とても素晴らしいロングショットがあります。幸恵が道を歩いていると、元彼が待ち伏せしています(びっくりパンの撮り方だったと思います)。「最期に話をさせてくれ」と男が頼んで、幸恵と元彼が歩き始める。
 次のロングショットが素晴らしい。男女が歩道橋を歩いてくるのを、横からのロングショットで撮っているですが、不意打ちのような空間の拡大ぶりが大変素晴らしいのです。この引き画を観て、安川有果監督という才能を信じられると思いました。


 と、ここまで書いてきましたけど、でもね、何かが変なですよ。何かが妙なんですよ。
 映画全体に漂う、この違和感の正体は、まだ私には分かりません。
 う~ん中年男が住む部屋の、内部配置が変なのか?ベッドや本棚が、普通あんなところに置いてあるだろうか。あの母と娘の関係性が変なのか、未だに謎は解けません。3回目を観たいです。

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【2010/05/31 23:43 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『離さないで』(福井早野香監督) ~桃まつり present うそ~ にて
hanasanaide.jpg 福井早野香さんの第一回監督作品『そこへ行く』は、観ていてハラハラする素晴らいものでした。『離さないで』が第二回目となるそうです。
 大変、力のこもった作品でした。時間をかけて作りこんでいる感じです。

 女流作家の未知子(奥田恵梨華さん)は近々結婚しようとしています。
 未知子の旦那さんの高雄(野村修一さん)は、高校時代の過去に恋人を殺しています。彼は罪の意識に苦しむのですが、未知子はそんな高雄を積極的に助けようとはしません。
 未知子の作家としての探究心が抑えきれずに、旦那さんを見守りつつ、高雄の気を惹くように仕向けつつ、亮子(『赤猫』や『姉ちゃん、ホトホト様の子を使う』の森田亜紀さんだ)に言われるまま、小説にして世間に発表してしまいます。未知子さんは、ちょっと倒錯的な感じです。昆虫観察をしているような感覚なのでしょうか?

 映画が進むにつれ、映画のベクトルが過去に向かってゆきます。劇中人物も場所をワープして、過去と現在が混同してゆき、死んだはずの女子高生(『代理人会議』や『バーカウンターの女』の神谷彩乃さんだ)が未知子と高雄の前に姿を現したりもします。

 個人的な感覚ですが、高校時代の過去の”謎解き”に映画の重心が置かれているように思えました。このあたりの展開が、ちょっと火曜サスペンス劇場的な感じがしたかな。例えば、ありふれたサスペンス映画であれば、旦那と妻の間に、殺るかや殺られるかの緊張関係が出てきたり、入院生活の森田亜紀が土壇場で逆襲に転じたり、もっとハラハラドキドキの展開になるのですが、そうはしない、と。

 『離さないで』は映画全体の感じが、怪しげな論理に従って、劇中人物が動いているように思います。特に、未知子の行動は、彼女の内面に潜む欲望からきているものでしょうか。夫への愛情と、女友達への嫉妬、作家的資質が突き動かす探究心。これらのバランスの上にギリギリ成り立っている女性なのでしょう。
 とすると、もっと未知子のヤバさ、あやうさが映画の全面に出てきてもよいように思うのですが、結構かわいい女性に見えました。
 映画のラストで車椅子を押す、未知子は愛情に溢れた人のようにも見えてきそうです。まだまだ私も人生経験が薄いのでしょうか。そっと手をやる旦那さんも、幸せそうだし。収まるところに収まった、感じがします。

 過去と現在の時間軸が、東京都と田舎の空間的距離が、本作ではごちゃごちゃに提示されます。世界の乱れ方が、未知子を浸食してゆくのです。
 ぶっ飛んだことを言えば、過去と現在を混在させるより、むしろ未知子の思い描く小説の世界と現実が混同するような展開にしちゃったらどんな映画になったでしょうか。
 全然関係ないけど、ダリオ・アルジェントの『スタンダール・シンドローム』という映画は、現実が絵画の中の世界と混同するという、凄い映画でした。

P.S.
シネドライブ2010と合わせて、3回『離さないで』を観たのですが、なかなか感想を上手く言えません。あぅぅっ。

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【2010/05/30 23:59 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『1-2-3-4』 (玉城陽子監督作)  ~桃まつり present うそ~ にて
1234 ”桃まつり present うそ”にて鑑賞。玉城陽子監督という才能を初めて知る。『1-2-3-4』は2回観ました。それぞれ観終わったときの印象が異なる、という現象を体験しました。

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<1回目>
 1回目観たときは、4人の男女が傷を舐めあっているように見えてしまい、どうも私は乗って観る事ができませんでした。押入れからギターが出てくるくだりなども、ちょっと展開がわざとらしく思えてきて、亀ちゃんがギターを弾き語りするのも、観ていて気恥ずかしく思えました。
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 何かひっかかるものを感じたので、『1-2-3-4』を再度観直したら、色々なことに気付きました。私の目はひょっとすると節穴なのかもしれませんね。 2回観たので、より細部に集中できたということもあるかもしれませんが。

<2回目>
 映画の冒頭で、ユカリ(樋口史)がある作品のタイトルを考えているときに「ニンジンの皮」、などと言っています。そのとき彼女は緑色のタオルを頭に巻き、オレンジのトレーナを着ており、まるで自らニンジンの配色に納まっているところが面白いです。

 ユカリさんですが、夫のマナブに殴りかかるなどして、弾けた行動を見せます。対極的に、夫のマナブ役を演じる上馬場健弘さんの、何とも言えない生活感を醸し出した、たたずまいが忘れ難いです。
 ユカリさんですが、一見すると、彼女は活発で勝気な性格であるように思われます。
 しかし私はユカリさんが物も言わず立ち尽くしている様子が、素晴らしいと思います。窓の外を眺めている立ち姿、太極拳をしている”亀ちゃん”を見守る立ち姿が、観る者の胸に非常に迫ってきました。

 3人の男女が鍋を囲む場面。ユカリさんは涙を目に浮かべます。このとき彼女は居ても立ってもいられず、外に出ます。そして、まるで彼女自身の心の空洞を現しているかのような、空き地に辿り着きます。
 すると、折りしも天候は悪くなっています。翌朝の最初のカットでは、草木からに露が溜まり、雫が落ちます。彼女の心の揺れ動きと大気が反応し合っている様子が大変素晴らしいのです。
 翌朝、マナブはユカリを迎えに行き、河原にて財布のキャッチボールが反復されます(余談ですが、この場面での、ユカリは本当に財布を受け取り損なってしまいそうで、観ていてハラハラしました)。

 トモコは婚約者(亀ちゃん)を、かつて互いを想い合っていた女性の元に行かせます。彼と彼女に区切りを付けさせるためです。
 近しい二組の男女が、成るようにしか成らず、別の組み合わせのカップルに収まり、今、着地すべきところに落ち着こうとしている。『1-2-3-4』はそんな互いの状況に対して、相手を信じること、思いやることを描いていたでした。感動的でした。

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【2010/05/29 23:43 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『代理人会議』 (石毛麻梨子、大木萌監督)~桃まつり present うそ~ にて
dairinin.jpg ある女性(実は代理人では無く、本人)実は真犯人、という裏設定があるのだが、ゴキブリを叩くことによってほのめかされるところなどは、素敵。タバコ場での男性陣の会話がナチュラル感をかもし出していて、素敵。

 疑惑の人物の無実が明らかになったところで、会議は時間切れとなる。「一緒に記者会見で述べる内容を考えてくださいよ」、A高校の教頭は嘆願するが、掃除のおばさんが会議室に入ってきて、会議終了となる。
 この後、皆で考えてあげるような展開にすれば、別の面白さが映画に現れてきたとも思うのだが・・・。上映時間の制約で仕方がなかったのでしょうか。

 ラストで、吉岡睦男さんがベンチに腰掛けながら新聞を読む。この場面は何を観客に伝えたかったのかしら?
 記事には謝罪会見の模様が載っている。がしかし、それは既に観客が知っている情報なので、今さら、それを知ってどうする、という感じもする。
 例えば「真犯人逮捕!!」という見出しで、あの女性が逮捕された記事が載っていたら、また違った驚きを観客に与えられたと思うのですが。どうでしょう。いかにも、という感じであざといでしょうか。

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【2010/05/27 10:57 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『カノジョは大丈夫』
■ギターの音色
 映画の冒頭から、印象的なギターの音色が響いていて、スッと作品世界に入り込める。因みに私の頭の中には、『カノジョは大丈夫』の音楽がこびり付いて離れない。目を閉じたら、あのギターの音色をいつでもを思い出すことができる。

■深みのある画質
makino.jpg近年の自主映画の映像の技術レベルの向上ぶりは凄い。室内の暗闇、茶色の色彩で統一された喫茶店内部、明け方の青白い空と空気の色、・・・こういった場面ごとの映像の質感の違いが、ちゃんと出てて素晴らしい。もはや画面の質を観ているだけでは、一般映画と自主映画の区別がつかなくなりそうだ。

 映像が良いと言っても、それは映画を褒めたことにはならず、映画監督の力量・資質とは別のものでしょう。
 最初に前野と牧野が出会う場面。前野が自転車で近づいてきて、歩く牧野に追いつく。歩道橋のようや場所で撮られているが、このロングショットは素晴らしい。いつもの安川有果監督の映画と同様、『カノジョは大丈夫』でのカメラ位置は的確であると思う。アントニオーニ風と評されること多いそうだ。
 構図・逆構図の切り返しなどは決してしないので、画質を見るとジャ・ジャンクーかエドワード・ヤンの手触りに近いように思う。人物のありようは、オルドリッチ的か。

■映画の語り口
maeno.jpgでも今回の『カノジョは大丈夫』では、映画の語りの上手さを感じる場面があります。
 前野が牧野に贈った可愛らしい洋服が、カットが変わると、古着屋に安値で置いてある場面などは上手いと思う。
牧野が昔の先輩(板倉善之)に偶然出会う。久しぶりに会ったので、飲みに行こうという話になる。ショットが変わって前野が自宅に帰ってくる場面。当然牧野は先輩と一緒に居るだろうと、大方の観客は思うだろう。だけど何故か牧野は、見たことも無い外国人と鍋をつついているという、この裏切りの面白さ。

 前野朋哉さんは何をするにも面白い役者なので、見ていて飽きない。彼の目を通してから見た一人称映画のスタイルであるが、実は、女性に重心が置かれている。実は戦略的な映画。『カノジョは大丈夫』には、「人物の葛藤が描かれていない」という意見があるとも聞いた。人間の葛藤を描くよりは、男がモジモジと懊悩する描写を積み重ねたほうが、この映画にはよっぽど向いている思う。

■ボタンの掛け違い
 『カノジョは大丈夫』は吉田輝男(前野朋哉)と明石幸子(牧野鏡子)のすれ違いの物語だ。男が女に騙されているように見える、という意見もあるらしいが、そうは見えない。私には牧野が悪い女性には全然見えない。(夜中にこっそり起きて、財布の中身を泥棒するのは、ちょっとマズイと思うが。)
 前野が牧野に、「女性にこうあるべし」という価値観を一方的に投影しているのこと。
 全然関係ないけど、『ぼくらはもう帰れない』(藤原敏史監督)でも、女性と上手く付き合えない映画好きの男性が出てくる。藤原監督は”シネフィル批判”と仰っているそうです。『カノジョは大丈夫』の男女の描き方を見ても、ひょっとしたらこれは男性批判かも、とも思えてきそうだ。

itinose.jpgバイトの同僚の女の子(一之瀬美和子)に「その女のどこが好きなんですか?」と問われた時、前野は「放っておけない感じかな」と答える。
既にこの時点で前野は彼女の性格・人格・特性を見誤っている。付き合うスタート地点からボタンを掛け違えているのだ。
 牧野は庇護を受けるべき存在の人ではないと思われる。同情をして欲しいとも牧野は思っていないだろう。何をかいわんや、”カノジョは大丈夫”なのである。ここまでタフで、到達していて、透徹している女性が現実にいるかとういうと、稀に居ると私は思う。これは彼女の素なのか、天然なのか、いや、それとも他人には言えない事情を内面に実は隠し持っているのだろうか、

 よくある普通の映画だと、牧野の知られざる内面や心の脆さ、などを描くエピソードを入れたりもすると思うのだが、そうはしない。女の弱みは絶対に見せない。ハードボイルドとも評される安川有果監督の真骨頂だ。
牧野は前野から追い出される。明け方の道を彼女はテクテクと歩く。ここで美しい空のショットがインサートされる(朝焼け?)。空のインサートショットは『幸恵』でも見られたものであり、安川有果監督の映画では何らかの転調を意味するものである。

■カノジョの変化
 次の場面。道端で歌うミュージシャンの傍を牧野が通る。以前に、前野と牧野がデートしたときにもこの路上ミュージシャンは登場しており、ラストでも反復させている。ミュージシャンを見つめる牧野には、何らかの変化が生じているように思える。顔の表情など、全体の雰囲気から、そう読み取れる。
 エンディングで、牧野は若い男達にナンパされる。しばらく無視していたが、突然彼女は笑いだす。あぁ私ってこうなのよね、と受け入れきっている女の余裕が醸し出されている。カノジョは大丈夫。

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【2010/05/26 23:19 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『2007年12月27日』 安川有果監督 第1回監督作
シネマドライブ2010にて鑑賞。安川有果監督の初作品だそうな。

映画の冒頭、一人の女子学生秋枝友子が教室に残って自習を続けている。
まず机に向かってスケッチか何かをしている彼女の様子が、固定カメラのフルショットで収められる。彼女の背後をクラスメートがさよならの挨拶して通り過ぎる。

と、次のショットでカメラは引きの画になり、広い教室の中で秋枝友子がたった一人で居残っていることが示される。彼女の孤独感が際立つ。
またカメラは秋枝友子のフルショットに戻る。彼女は荷物を片付けて、席を立ち教室を出る。
ここでカメラがぐいっと右にパンして、教室のドアを開ける秋枝友子の姿を追いかける。教室から出る描写を固定カメラのまま撮影していたら秋枝友子は画面からフレームアウトすることになり、殺風景や虚無感が強調されたことだろう。が、そうはしない。『2007年12月27日』という映画は、あくまでも彼女に寄り添うことにより進行してゆくのだ、という決意表明がこのカメラのパンの動きから読み取れる。

以後、カメラは秋枝友子にそっと寄り添って、彼女の日常を淡々と収めてゆく。
一人で待ち合わせ場所に行く。仕事で来れない、と彼氏からメールが入る。
家に帰ったら、台所に洗っていない食器が散乱しているので一人で洗う、コンビニで買ってきたスパゲティをテレビを観ながら一人で食べる。自室の机に向かってスケッチをする。たまに携帯電話にメールが入る。
遠くの方から聞こえてくる電車の音、時計の秒針が刻むカツカツした音が彼女の孤独を際立たせる。やがて煙草が切れたことに気づき、家を出て自販機まで買いにゆく。

というように、『2007年12月27日』では、秋枝友子はずっと一人であることが強調づけられている。彼女の孤独ぶりを描くことが、この映画の主題なのだろうか。いや、それだけではないと、私は考える。
煙草の自販機の前で、秋枝友子は先輩女性とばったり出会う。ここでの秋枝友子と先輩女性のやりとりの会話場面こそが、安川有果監督の真骨頂だ。

先輩女性「最近調子はどうですか」
秋枝友子「いや~ボチボチですよ」

・・・とか言う、秋枝友子の受け答えの様子にに妙なものを感じる。上手く言えないのだが、自分の領分はきっちりと守る、みたいな彼女の矜持を私は感じてしまう。相手を寄せ付けない、というわけではないのですが、どこかよそよそしさみたいなものも、ちょっとだけ感じる。

第二作目の『幸恵』もそうであったように、秋枝友子は孤独に寄り添って生きている。
そのことを他人に媚びたりもしないし、弱い自分を誰かに見て欲しいとも思わない。すべてはあるがまま。
諦めているわけではない。絶望しているわけでもない。運命を受け入れているわけでもない。がしかし、こうなってしまったことを受け入れる度量は持っているつもり。
世界は私が居なくても成り立っている。夕焼空は特に美しい。
静かにひとり、何かが起こることを待っている。

何かそんな感じです。上手く言えませんが。

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【2010/04/08 22:47 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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