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『アカシックレコード』
 大阪の心斎橋にあるカフェ裏CO2にて鑑賞。
 本作は光と闇の2項対立の映画である。光に満ちた地上世界と地下の世界(実際、大阪の梅田駅周辺の地下は迷路のように入り組んでいて凄いのだ!)の間には、元宇宙飛行士の男が地上に出ようとしたら指先が焦げるくらいに、『光る目』(J・カーペンター)のような厳然たる境界が存在する。
 映画の終盤近く、都会の中心部の空中に巨大なスピーカーが現れる。『ナショナルアンセム』において、不発弾の発見を契機として平凡な世界が崩壊へ突き進んだように、『アカシックレコード』はDJが操るビートの効いた音楽のリズムに乗りながら、世界を混沌に陥れようと企ている。
 が、やっぱり徹底度が弱いと思う。DJに導かれて踊り狂っていた地下世界の住民は、ラストに地上に出ても、巨大なスピーカーを見上げて立っているだけで特に何もしない。『ソドムの市』(高橋洋)のように、拡声器を搭載した大型爆撃機が都市の中心部に現れて市民が皆狂って殺しあう、みたいなハチャメチャな展開を期待してしまうのだ。DJが「ねぇ知ってる?死ぬことと踊ることは一緒なのよ。」と言うわりには、踊り狂う地下の住民の様態に、或いは映画そのものに死の香りが漂って来ない。踊ることは何なのか、死ぬこととは何なのか、という人生の価値観に関する命題が表現の域に達していない。
 。あれほど地上に出ることを拒んできた元宇宙飛行士は地下鉄を使ってあっさりと地上に出てしまい、スペースシャトルの発射のイメージ付け加えられる。世界の混沌の図と元宇宙飛行士の救済が今ひとつしっくりとリンクせず、魑魅魍魎な地下世界が平凡な地上世界にはみ出して世界に混沌を招こうとする意思の力も薄いように思う。だが、地下を出て地上を通過しさらに宇宙へとスケールを拡大するほどに、西尾孔志の野心は強いのである。
 『アカシックレコード』ついて西尾孔志監督は「詰め込みすぎた。」と仰っていた。題材的には1時間以上の尺が必要な気もするが、分散気味になることを承知の上で西尾孔志監督は敢えて詰め込んだのである。

テーマ:西尾孔志 - ジャンル:映画

【2006/10/28 10:34 】 | 映画監督 西尾孔志 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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