スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 | page top↑
映画侠区Vol.7 グリフィス特集
 映画侠区vol.7に参加し、1910年代のD・W・グリフィス作品を観ました。
 固定カメラは偉大だ。この時期の映画自体パン、ティルトなどのカメラを動きは一切ない。レールを轢いての移動撮影もない。勿論クレーン撮影もない。その当時のカメラの重量からして、考えてみりゃ当たり前のことだ。カットバックが編み出されたのも、案外、カメラが動かせないという物理的制約によるものかも・・・なんて想像してしまう。
 固定カメラの前で起こった出来事がそっくりそのまま記録される。画面の中での人物の動き方やセットの素晴らしさを観ているだけで楽しい。
 例えば『これらのいやな帽子』。映画館のスクリーンにが画面の奥に写され、それだけで奥行きが強調されるが、カメラの外から妙な客が次々と入ってきて、さらにはUFOキャッチャーみたいな捕獲装置が上から降りてくるという。これら一切の動きが固定カメラのフレーム内で生起するのだ。
 かの蓮實重彦が、無声映画で育った監督とトーキーで育った監督はカメラ位置の感覚が違う、みたいなことを言っていたのが不意に思い出される。
miezru.jpg 『見えざる敵』を観たとき、こんなにも単純な要素で劇映画は成り立ってしまうのか、とハッとなった。美しい姉妹(リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュだ!)、悪い男、呑んだくれのおばさん、金庫破り、密室、拳銃、たったそれだけ。
 で、その悪者が部屋に閉じ込められた姉妹に対して拳銃を向ける。壁に開いた穴に手を差し込んで、壁の向こう側の姉妹に対して拳銃を左右に振る。拳銃の動きに合わせて姉妹が大袈裟に逃げ惑ったり気絶したり・・・実にほほえましい光景だが映画的には素晴らしい。電話の喋り相手を介してのカットバックもすかさず炸裂する。
 それにしても、グリフィス映画で美しい女性が拳銃を持つとドキドキする。そういえば、「映画とは女と拳銃である」と言った御方が映画史におられたな、と思って調べたらD・W・グリフィスその人でした。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2007/04/22 15:54 】 | 映画侠区(映画鑑賞会) | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
<<『弓』 | ホーム | 『デジャブ』>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。