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『dead BEAT』
t-deadbeat.jpg 新世界のトビタ東映で観たのは数年前のことなので、だいぶ記憶が定かではないのですが、思い出しながら無理やり書くことにする。
 でも印象的な場面は良く覚えている。男を惑わせるファムファタール然とした真野きりあ、森の中での疾走など、後の安藤作品にもたびたび現れる彼のこだわりはあちこちに散見できる。関係ないが、画面の画質とラストの縦書きのエンドロールなどから察するに、東映ヤクザ映画を模したのだろうか。

 どっちにしたって90年代後半、黒沢映画の常連俳優となり、かつVシネのスターに君臨していた時分の哀川翔は最高だ。しかし『dead Beat』で我々が目にするのは、哀川翔ならざる哀川翔なのであり、哀川翔がこうも寡黙な役柄をあてがわるのは珍しい。死のビートは極めて静かに奏でられる。監督の安藤尋と脚本家は過去のVシネにおける哀川翔の役回りを外した地点からドラマを立ち上げ、哀川翔の静かな存在感に賭けている。
 妻子もちの父親という設定にしては、哀川翔が家族と触れ合う場面はただのひとつも存在せず、妻と子が寝ている様子を見守る程度だ。
 哀川翔は喫茶店のマスターの役なのに接客する場面がひとつもなく、せいぜい店内を整えている場面しかない。閉店後の後片付け、もしくは開店前の準備の様子だけが描かれているのだ。彼は何かの準備をしているのだろうか。だが何の?・・・
 破滅志向の根津を敵にし、漠然とした脱出願望を持つ村上を仲間に持ちながらも哀川翔は、根津の破滅に付き合うわけでも、村上の脆い夢に付き合うわけでも無い。根津はヤクザに追われて逃げるだけなので両者の対決ムードはいささかも高まらない。上手く立ち回って金を巻き上げれば借金が返せて楽になれるのにそうもせず、哀川翔は自分の負の部分を時間をかけてゆっくりと清算するつもりだ。ラスト、瀕死の根津と哀川翔が向き合う場面。
   哀川「幸せそうだな。」
   根津「ああ。あんたは?」
   哀川「幸せだよ。家族もいるし、借金もあるしな」
 これは『借王』に出演し、家族も持ち裕福になった哀川翔の実人生を照らし合わせた言葉なのだろうか。いや、そんなわけはないか。

 などという邪推はさておき、ラストの撃ち合いはVシネならざる描き方だ。轟いた銃声の数よりも明らかに死体の数の方が多い。転がる大量の死体から考えても短時間の内にあれほどの殺戮がなされたとは考えにくい。哀川翔主演のアクション映画と聞いてスタッフは大量の血糊、及び弾着用の火薬を用意し始めたに違いない。
   安藤監督「いや、俺は撃ち合いを撮るつもりはないよ。」
   助監督「・・・」
 会話を生々しく想像することができる。

 などという邪推はさておき、殺戮の場に到着する前になぜ哀川翔は車を止めたのか。従来のVシネでの哀川翔の役回りからすると、あの穴の開かれた床下には、かつて殺害したヤクザの腐乱死体が埋められているか、もしくは来たるべき戦いに備えて大量の手榴弾、バズーカ砲、マシンガンなどの武器が隠されてしかるべきだ。しかし彼は戦いに参加するでもなく、ただ見守ることしかせず日々の生活に埋没する。彼が選ぶ道は緩やかな消滅なのだ。

 すみません。あんまり思い出せませんでした。細部に誤りが混じっていると思いますが、ご容赦下さい。TUTAYAにビデオ置いてないかな?

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2007/01/20 00:15 】 | 映画監督 安藤尋 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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