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『叫』
sakebi.3.jpg  ストーリーは単純にして明快。高度な謎解きの映画ではなく、『ドッペルゲンガー』のように混乱させるような映画でもなく、かといって『CURE』や『ニンゲン合格』のように融通無碍でもなく、『叫』はストレートな幽霊映画に仕上がっている。『廃校奇談』『DOORⅢ』『トイレの花子さん』『降霊』などのホラー映画で黒沢清が追求してきた恐怖表現の展覧会と化しており、長年の黒沢ファンにとっては楽しい限り。
 セルフパロディの徹底ぶりは、このホラー映画はコメディだったのか、と見間違えさせるものがある。娯楽に徹すべし、と黒沢清は密かに心に決めたのかもしれない。恐らく合成画面だと思いますが、幽霊役の葉月里緒奈が周囲と光の当たり方が違っているという、サービス精神も見ていて楽しい。

■幽霊に与えられた物質的な目
 幽霊を演じる生身の俳優から人間らしさを剥奪するには、どうすれば良いか。黒沢清はいわゆる小中理論に則って幽霊演出を発展させてきたことは広く知られている。『叫』の赤い服の女は、ホントにあった怖い話の『夏の体育館』で鶴田法男と小中千昭が発明した、赤い服を着た女がズズっとこちら側に迫り寄ってくる恐怖表現の延長上にあるのも承知の通りだ。『DOORⅢ』での真弓倫子が田中美奈子 に迫りよってきた映像と全く同じカットで、『叫』の葉月里緒奈が役所広司迫ってくるのだ。あぁ観ているだけでワクワクするわぁ。
 がしかし『降霊』にしろ『トイレの花子さん』にしろ、過去のの黒沢清の幽霊を特徴づけるのは、は顔の目・鼻・口を欠いた平坦なことにあったはずだ。
 実際今まで黒沢の映画に登場した幽霊は、『トイレの花子さん』('94)のラストに現れた幽霊も顔面が布を張ったようにのっぺらぼうであり、『トイレの花子さん』('01)での幽霊もCGで顔がぼかされ口だけが強調されており、『降霊』での女の子の幽霊の顔もツルッとのっぺらぼうだったものだ。
 のっぺらぼうな顔面への拘りはDVDボックスの”集積回路”に収められたインタビューで黒沢清が触れていた。顔がのっぺらぼうなのは人間の感情を欠落しているため、と仰っていたように思う。
 だとすると『回路』に現れた幽霊(体をグニャっと曲げる女)が普通の人間の顔を晒したことが極めて重要な事件だったと言えるだろう。前作の『LOFT』の泥まみれの安達裕美の顔の目だけが異様に輝いていたことが忘れ難い。『叫』では葉月里緒奈の目を見開きっぱなしさせて彼女に一切の瞬きを禁じさせた。いつしか黒沢清監督は幽霊の物資的な眼球に執着し始めている。

■幽霊哲学
 『回路』以来、黒沢の幽霊は恐怖の対象としての幽霊を超えて、人間の世界にズケズケはみ出てきてしまった。画面に映っている人物が生身の人間なのか、それとも幽霊なのか判別がつかなくなってきたのは『ドッペルゲンガー』の頃からか、いや、もっと遡って『ニンゲン合格』の頃からだろうか。彼の幽霊哲学をどのように解釈すれば良いのか、そこが悩みどころだ。
 幽霊のはずの葉月里緒奈は何故にドアを生身の手で開けて外に出てゆくのか。幽霊のはずの小西真奈美は何故にちゃんと食事をしたり、旅支度を整えてハンドキャリーのケースを転がしながら駅の自動改札を通過するのか。幽霊の実態および内面は人間界の私達には丸っきり理解がつかぬ。
 葉月の教唆により役所が小西真奈美を殺害したとしても、何故に小西は何故にあっけらかんとした態度を取り続けることができて、なおかつ役所を簡単に許すことができるのか。何故に葉月の存在に気づいた役所が遺骨を回収することで「あなたは許します」になってしまうのか。
 何故なのかという問いに対しては、そんなこと知るか、というのが多分黒沢の答えだ。『ドレミファ娘の血は騒ぐ』において何故かと問うてばかりの学生に伊丹十三教授が返したように。
 がしかし、徹底して内面を欠いた女性のように見える小西真奈美だが、ラストカットの彼女の慟哭ぶりにはグっときた。今まで感情を押し殺し、最後に溢れ出た小西の叫び声だけ音声が消されていて、肝心の叫び声は役所には届かない。幽霊も愛情やら惜別やらの感情を持っているならば、やっぱり彼らはほとんど人間に近いのだろうか。いや違った、そもそも黒沢清の映画では幽霊と人間の区別など最初から無いのだ。

■伝道師の威厳、今いずこ
 葉月里緒奈の呪いによって、東京都民のみならず世界中の人間が『回路』のあっち側の世界に逝ってしまうという終わり方も人を食った突き抜け方だ。東京都民がバタバタと姿を消してゆく場面があれば、いかにも恐怖映画に相応しくおぞましい映画になっていたかもしれない。
 人間の役所広司が幽霊の葉月里緒奈を救済するつもりだったのが、逆に幽霊の葉月と恋人の小西真奈美に救済されてしまうという逆転が起こり、何故か許されてしまった役所広司が世界の中で独りぼっちになる。『CURE』のような伝道師にもなり損ね、ワケの分からぬまま許されてしまった役所が人の居ない街角を歩く。彼は徹底的に孤独だ。その先に何があるというのか。

テーマ:映画批評 - ジャンル:映画

【2007/03/10 00:48 】 | 日本映画 | コメント(2) | トラックバック(6) | page top↑
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コメント
--はじめまして。--
TBありがとうございました。
なるほど、読ませていただいてかなり作品の理解が深まりました。
黒沢監督の作品をあまり観ていなかったので、これから時間があったら過去の作品も辿ってみたいと思いました。
by:hyoutan2005 | URL | #-【2007/03/10 21:35】 [ 編集] | page top↑
--感謝--
長ったらしく、まとまりのない文章を読んで頂きまして、どうもありがとうございました。なんだか幽霊のことばかり書いてしまいましたが、葉月と小西の女優の綺麗さは特筆すべきものだと思います。
by:カワゴン氏 | URL | #-【2007/03/12 01:23】 [ 編集] | page top↑
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