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『レディ・イン・ザ・ウォーター』
water なにやら宗教めいた匂いを感じなくもない『レディ・イン・ザ・ウォーター』だが、ハリウッドでお金をかけてミニマルな物語を作るシャマランの主義は健在だ。
 人物が会話するときも単純な切り替えしをすれば良いんじゃないですか、その場面はそんなにたっぷりと間をおく必要があるのかな、という気もしてくるが、そこはそれシャマランの作家性がそうさせるのだろう。でもシャマランの映画でいつも思うのだが、スローモーションはイマイチかな。韓国のポン・ジュノのスローモーションは見事に決まるものだが。
 シャマラン映画は行き場を失った異能者が存在意義を獲得してゆく映画だったように覚えている。『サイン』ではごく普通の人間でも森羅万象の物事に繋がりがある、そのことに気づけと。
 だが次作の『ヴィレッジ』では個人の存在意義を規定するものはちっぽけな現実に過ぎない、というちょっと醒めた姿勢が伺われ、『レディ・イン・ザウォーター』はひとりひとりバラバラな人間が連帯して「ストーリー」を共有する、と。
 個人の話から共同体幻想に飛躍したのだろうか。危険な左翼思想に行かなければ良いが・・・俺たちの手で世直しだ、みたいな。マンションの住民も感化され過ぎに見えるし、劇中でシャマランは死ぬと予言されてしまいますが、ひょっとして内ゲバで命を落とすか、公安に捕まって獄中死したりして(全て私の邪推です)。

 マンションのテレビでは中東の情勢が映し出されている。何とかしなければならない、と人々は漠然と思っている。そのためには、まずアメリカ人自身が変革しなければならない。そのことに気づけ、と。そしてアメリカ内部で思想の変革が起こり、指導者が良い方向に持っていけたらな・・・
 と、シャマランが思うのは別に構わないけど、本人自ら出演しているのだしこの際だから『チャップリンの独裁者』みたいに演説をぶてば、すっきりして良いんとちゃいますか。シャマランはどのような思想の書をまとめたのだろうか、そこが知りたかったですね。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2006/10/15 23:01 】 | アメリカ映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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