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『夜は千の目を持つ』
 随分昔のトークショーにおいて、黒沢清が「この映画を観たとき、撮られた時代はいつなのか、いくつくらいの年齢の人が撮ったのか、撮った人は男性なのかそれとも女性なのか、全く判別がつかなかった」と仰っていたのを覚えている。
 私は何年か前の京都国際映画祭で初めて観て、強烈なインスピレーションを受けたものだ。背後で鳴り響く『ビデオドローム』の音楽は今なお鼓膜に焼き付いて離れてくれない。
 あらゆるショットがただ写っているだけで不穏な光彩を放つ、ということがこの映画では起こっている。駐車場に停まっていた車がスーッと動き出すだけで恐ろしい何かが発動しているような錯覚を覚える。恐ろしい何かが。口に出しては上手く言えないが。
 今回の上映で『夜は千の目を持つ』を観るのはこれで3回めになるが、電線のショットは後の『発狂する唇』の”霊的逆探知”に繋がっているのだな、主人公の男がテレビのニュースキャスターとつるんで証拠を捏造しようとするのは『条理ある疑いを越えて』に似ているのかな、と今頃になって考えもする。
 高橋洋の次作の8mm作品の『ハーケンクロイツの男』の方が現在の『ソドムの市』の系譜に連なるドタバタ活劇だが、『夜は千の目を持つ』はもろにマブゼ的な不条理活劇だ。何かにとりつかれた女性の声を録音する場面。女が最後に言葉にならない言葉を発するとき、”マブゼ”が口パクから読み取れるという。
 『夜は千の目を持つ』で気に入っているのは、ナレーションの言葉のかっこ良さだ。あの当時のパロディアス・ユニティの作品は『school days』にしろ『しがらみ学園』にしろ『四つ数えろ』にしろナレーションがこの上なく魅力的というよりほか無く、言葉以上の何かとして作品を支えるている。万田邦敏の声が今なお僕の耳から離れることはない。『夜は千の目を持つ』についても、記憶に残っているものとして、

"限りなき犯罪による支配、限りなき犯罪による支配、だが支配者はいない。"
"的確な行動は人を健康的にする。証拠を隠滅する自分の行動にほれぼれした。"
"私が今の妻と結婚したのは、彼女が何も考えていない人だからだ。だが何も考えていない人ほど、何を考えているのか分からないことがわかった。"
"ハンドルが不穏な動きをする、と彼は控えめに言った。"
"やはり写真は人を殺した・・・"

写真に関する言及で、この上なくかっこ良い言葉のたたみかけがあったように思うが、正確に覚えていない。残念。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2006/11/09 00:12 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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