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『オー!スジョン』その2
オースジョン2 会話劇をよりスムーズにするためのホン・サンスならではの小道具でありながら、リアルな会話劇の中にあって最も不自然に配置されるのは食べ物である。
 通常の日常生活で私たちは、ホン・サンス映画の劇中人物のように、あんなにしょっちゅう飲み食いしながら喋っているわけではない。場面が居酒屋なら食べながら会話するのは自然な振る舞いだが、ホン・サンス映画にあっては劇中の彼らはどこに居ても必ず食べ物を口にしながら会話する。或いは食器やビール瓶などを食べ終えた残骸がテーブルの上に必ず残っている。
 日常の振る舞いを淡々とスケッチしていながらも、ホン・サンスの映画を支えるものは、食欲と性欲という人間の根源的な2つの欲望に他ならない。だって、ジェフンが処女を喪失したスジョンに「たくさん血を流したから肉を食べようか?」などと言うではないか。

 第一部と第二部は男性のジェフンの記憶よるものであり、第三部と第四部は女性のスジョンの側の記憶から同じ場面が焼きなおされる。ジェフンのパートとスジョンのパートと比較すると、総じてジェフンの記憶の中でのスジョンは貞淑で控えめだが、スジョンの記憶の中でのスジョン自身はアクティブに描かれている。
たとえば、

手袋を渡す場面  :第二部ではジェフンが手袋に気付くが、第四部ではスジョンが先に手袋のこと言い出す。
続く居酒屋の場面 :第二部ではスジョンがジェフンに酒を注いでいるが、第四部ではジェフンがスジョンに酒を注いでいる。さらにお箸入れがナプキン入れに変わっている。第二部ではお箸があることをスジョンはさり気なく指摘するが、第四部ではナプキンで自分の服についた酒をゴシゴシ拭き始める。
タクシーを拾う場面:第二部ではジェフンがスジョンとタクシーを相乗りするとき、スジョンは「遠回りになる」と言って尻込みするが、第四部では何も言わずに彼女はタクシーにさっさと乗ってしまう。

 探していけば相違点はもっとあると思う。二人は出来事を違った形で記憶しており、人間は自分の記憶を自己中心的に形成するものなのだろうか?
 がしかし、第四部の途中でどうも様相が変わる。友人宅での誕生日パーティーの場面。ヨンスがスジョンに絡みだし、気まずくなったスジョンは友人宅を去る。両者の様子をジェフンと女友達が隣部屋(画面の手前と奥の使い方が見事!)から覗いている。ちょっと待て、これはスジョンが知り得ない事実のはずだ。記憶の形成の有り様という観点だけで、この映画を観てはいけないような気が不意にしてきた。

 『オースジョン』は記憶が問題なのではない。編集が問題なのだ。映画には何を見せて何を見せないかの取捨選択が迫られる。TVのニュース番組、ドキュメンタリー番組、新聞報道など全てのメディアも同じだ。
 人間誰しも裏表がある。表面上は清楚に見えるスジョンも、裏では兄の自慰行為を手伝ったりしても別に不思議ではない。人間の生活の一面だけを抜粋すれば清楚な女性にも見えるが、また別の一面を抜き取って繋ぎ合わせれば奔放な女性と印象づけられる。
 私たちは身の回り人間の一面しか知らない。もっと知りたいか、それを知るには勇気がいるぞ、と『オースジョン』は囁きかける。

テーマ:韓国映画 - ジャンル:映画

【2006/09/24 23:15 】 | 韓国映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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