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『アナボウ』の競技性を考える
相手を認める競技
ところで、
”アナボウ”とは相手を攻める競技ではなく、相手を認める競技であるという。
”受け手”と”攻め手”にどのような攻防戦が展開されるのか?
そもそも”相手を認める競技”とはどういうことか、噛み砕いて考えてみる。

”アナボウ”は見ず知らずの相手に身体をまさぐられる競技である、と・・・、つまり”アナボウ”という競技は、まず、受け手が攻め手に身体を委ねる競技なのでしょう。
自分の性感帯を攻められるうちに、恥ずかしさの極致を通り越して、身体を預けてながら攻め手を受け入れる、ということだと想像します。

受け手と攻め手の関係
では攻め手は何をするのか?これが問題です。
攻め手は、あまりサゾっ気を持って、受け手を攻めたてて欲しくは無いと思ます。
ある種の奉仕の精神を持って試合に臨むべきではなかろうか。
攻め手は、受け手の恥ずかしい様子をまるごと受け入れる、器の広さを持たなければなりません。
攻め手と受け手が一体となって恥ずかしさを突き抜けること、これがアナボウの持つ競技性・精神性なのだと思います。

”受け手”と”攻め手”の間に信頼関係がないと成立しない競技です。
つまり”受け手”と”攻め手”の気持ちのシンクロ具合が高ければ高いほど、高得点につながるのでしょう。

高度だ、実に高度な競技だ。
高度な技術および高い精神性を兼ね備えた者なければ、この競技を続けることできないでしょう。
アナボウ部の部員達が練習をボイコットしたのも、訓練の厳しさについていけなかったからではなくて、”アナボウ”の競技としての難解さ・高度さ、を理解しきれなかったからではないでしょうか。

もし”アナボウ”部員の間に、恋愛感情が芽生えたらどうなるでしょうか。
女子部員A「先輩、あなたのことが好きです!」
男子部員B「バカッ。恋愛と競技を混同するな。アナボウは競技であり、疑似性交の格闘技だ!競技パートナーとしてのお前を認めるが、私生活の恋愛相手とは認めん! お前は競技に集中するんだ。」・・・みたいな。
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はっ、俺は一体何を書いているんだだだ。

最後の女子高生の表情
主人公の女子高生が、べつに好きでもない男子高生の性感帯を攻めて、彼を昇天させた後、彼女が見せる顔の表情をどう読み解くべきだろうか。やり遂げたという達成感ではない。相手を軽蔑しているわけでもない。満足感でもない。嫌悪感でもない。
何なのだろう。人間のサガや本性というものをジっと見つめているような表情に見えました。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2010/07/22 21:36 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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