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『世界』 ジャ・ジャンクー
sekai 『一瞬の夢』『プラットホーム』『青の稲妻』と寡黙な作風を貫いていたように思いますが、『世界』はビジュアルとサウンドをかなり前面に押し出してますね。アニメのパート(何故か携帯画面を出すとき必ずアニメになるという)は、わざとチープに作っている感があります。建設ビルの背景で飛行機を合成画面で飛ばしたり、噴水の水に色をつけたり、ラストの工場の煙突から出てる炎も変な感じだったな。画面をあっちこっちいじくるのは、ちょっとジャ・ジャンクーらしくないな・・・、と思いながら観ていました。
世界はいずこに
 『世界』といってもジャ・ジャンクーが希望に溢れた世界を描くはずがない。彼が用意したのはイミテーションとしての世界である。世界公園というのは現実に存在するテーマパークらしいが、なんだかこのテーマパーク自体が映画のために建てられた映画のセットのように思えてしまう。そこでタオ(チャオ・タオ)が、ダンス用の舞台衣装、スチュワーデス、和風の着物、と衣服を次々に変えてゆくのは、あたかも映画のための撮影用衣装を着替えているようにも思える。
 ああ要するに『世界』に出てくる安っぽいCG合成、打ち込みによるサウンド、きらびやかなステージ衣装、といった類のものは虚飾なのね、とわかった。その証拠に、ラストの場面は雪の降る薄暗い早朝で繰り広げられ、タオとタイシェン(チェン・タイシェン)の二人は冒頭での過度にゴージャスなダンスシーンとは真逆に、寒々とした環境に身を横たえなければならない。
 『世界』でのホントの世界は華々しくきらびやかな場所にはない。薄汚いレストラン、ホテルの洗面所、あわただしい楽屋、病室の待合室、怪しげなブランド模造品製作所の二階、などといった『世界』の舞台裏の細々とした生活空間にこそ、『世界』の世界は存在する。そこでジャ・ジャンクーは人間の生々しい振る舞いをひたすら撮り続ける。

部屋の中では常に二人きり
 ジャ・ジャンクーの映像文体は長回しが主体だが、細々とした生活空間を撮るときの彼のやり方には2種類ある。手持ちカメラによるものか(タオが「バンソウコウちょうだい!」とわめきながら歩き回る様子を手持ちのカメラでぐいぐい引っ張る冒頭など)、もしくはカメラを固定させるか、どちらかだ。手持ちカメラの運動神経と固定カメラの動きの無さの落差が激しいのも特徴である。
 ジャ・ジャンクー独特の固定カメラの長回しが始まるのを合図として、「服を着替えるから」、もしくはタオがの手を引っ張って、或いは「出て行け」と命令されて、他の劇中人物は排除されてしまい、部屋の中で決まって二人きりになる。
 そこで二人は例外なく寡黙になり、気まずい時間が流れる。人の動きは無し、カメラの動きも無し、楽しいお喋りも無し。どう見ても盛り上がる要素に欠けると思うのだが、ジャ・ジャンクーがやると、定点撮影のごとき固定カメラで捉えた映像に、ああも豊穣な情緒が形成されるのは何故なのか。ジャ・ジャンクーついて考えるとき悩ましいのは、まさにそこである。
 余談だが、タオとアンナ(ロシア人ダンサー)がレストランで食事をする場面。あそこで普通だと、カメラは食事をする二人を中心に置くものだが、画面の左に置いて、画面の右に何もない変な空間がポッカリと開いている。この無意味な空洞に魅力を感じる(もっともこの空白地帯を利用して右にパンすると、外国の様子が伝えるTV画面が現れるのだが)。

大胆な省略
 話のすっ飛ばし方は相変わらず上手い。痴話喧嘩で言い争いの絶えなかったニュウとウェイはいつの間にか婚約している。またラストの場面で、タイシェンとタオが一酸化炭素中毒に至った経緯、および事故なのか心中なのかという肝心な点も含めてズバッと省略されてしまう。
 『世界』で一番凄い省略の場面。ホテルに居るタオがタイシェンに電話をかける。だが相手は電話に出ずつながらない。そしてカットが変わるとのタイシェンとチュン(別の女性)がブランド模造品製作所の二階の部屋に居る。二人は親密な様子だ。チュンに促され、しぶしぶタイシェンが電話に出る。このとき、彼の電話の相手はタオだと考えるのがふつうだろう。だが私たちの読みはあっさり外れて、実際の電話は事故の連絡を入れる病院からのものなのであり、壮絶な場面が後に待ち受けているのである。

漂流する根無し草
 ジャ・ジャンクーの映画には上等な人間はまず出てこない。デビュー以来、ちんけなスリ、行き場の無い若者など、だらしのない人間を彼は好んで画面に収めてきた。本作の『世界』のタオとタイシェンは住居を持たない。というか住居に身を置く場面がひとつも出てこない。彼らは住処を持たない根無し草なのである。『世界』のとタオは、ホテルからホテルへ、もしくは世界公園の中をふらふらと移り行く。
 根無し草の二人が付かず離れずイミテーションの世界をふらふら浮遊して回ること。ジャ・ジャンクーの映画は常に一組の男女の物語だったのかもしれない。スリは行きずりの女に一瞬の夢を見たのだし、一見すると歴史モノの『プラットホーム』も、最後には一組の男女に物語が収斂していった。もしかするとジャ・ジャンクーは一級のメロドラマ作家ではなかろうかと私は密かに考えている。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

【2006/01/09 14:55 】 | 中国映画 | トラックバック(2) | page top↑
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世界
ザラついた、奥行きを欠く深み  中華人民共和国の首都がいかに目覚しい発展を見せようとも、「世界公園」なるテーマパークが何を表象しようとも、両者の関係性とそこに描かれる人間模様から、なにかしらの作者の意図を汲み取ることは、ある種の意義はあるのかもしれま 秋日和のカロリー軒【2006/02/12 23:50】
世界(2004/日本=仏=中/監督:ジャ・ジャンクー)
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