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『ヒアアフター』 クリント・イーストウッド監督
ストレートな人間賛歌、と受け止めました。
hereafter.jpg『ヒアアフター』を観て感動。霊能力モノですか? もはや何を撮っても傑作になってしまう状態のクリン・トイーストウッド監督の最新作。実に堂々たる風格を持った映画です。何なのでしょう、男と女と子供があれば映画はできあがる!みたいな、堂々とした映画は。”霊能力などインチキだ”と言い出す人が居なかったり、霊界から呼び出された人間が、性格の良い人が基本的だったりするのがちょっと物足りない気もしますが、『グラントリノ』や『インビクタス』よりも琴線に触れたのでありました。

 噂には聞いていましたが、冒頭の東南アジアので大津波の場面でのパノラマチックな光景は凄い。内陸に逃げようとする散り散りの群衆をパンしながら俯瞰で捉えているのですが、群衆が波に飲み込まれる場面をちゃんと撮っている。かつての円谷英二の特撮でも津波が出てくることが多かったですが(『地球防衛軍』とか)、CGが進歩するとこうなるのか、と感動しました。

イーストウッドの今まで映画は集団活劇みたいな感じもしましたが、『ヒアアフター』は、1対1で向き合う人間の凄味に重きを置いているように思えました。霊能力者のマット・ディモンは、あの世にコネクトする際、相手の手を取って向き合います。
 またイタリア料理の教室でも人同士を向き合わせています。今時、男女が顔を接近させて向き合う場面を撮るにはどうすれば良いか・・・目隠ししながら食材を当てるということをさせます。スプーンで相手の口に食べ物を入れてあげる、という行為が、どうもエロチックな仕草に見えて仕方ない。実際、大きく口を開けて食べ物を入れてもらうダラス・ハワードは、男性の愛情を求めているような感じだ。

『ヒアアフター』は津波に始まり、男女が抱き合うことによって終わります。『ヒアアフター』のラスト、母親と息子(弟)が部屋の中で向き合って抱き合います。カットが変わり引き画になりますが、これは死んだもう一人の息子(兄)が母・息子を見守る視点なのでしょう。
 抱き合うといっても、母親と息子なのでドラマの成り行きとして自然に起こることなのでしょうけど、マット・ディモンとセシル・ドゥ・フランスの抱き合い方は、祝福すべき突発的事態という感じで、観る者を躊躇させもします。予知夢のようなキスシーンが描かれています。マット・ディモンも予知能力?それとも本人の願望が頭をよぎったのか?いままで霊界と交信してばかりいて厭世感にも陥っていたマット・ディモンが、ようやく現実に希望を見つけたということでしょうか。
 全然関係ないけど『タレンタイム』のラストでマレーシアと華僑の男子学生が、突然立ち上がって抱き合うラストシーンは胸を打ちましたね。

「あの世のことは分からない」とクリント・イーストウッドさんは仰いますが、この映画をみていると「現世はどうなるか分からない」と私には思えてきます。セシル・ドゥ・フランスはお土産を買いに行かなければ、津波に巻き込まれることもなかったでしょう。また双子の兄の方は薬局からの帰り道の場面。不良少年達がこちらを見ているショットが挿入されます。あぁ何か嫌な感じ、そっち行っちゃ駄目、と思って観ていたら、そっちに行ってしまい不幸なことになるという。
 ちょっとしたボタンの掛け違いで、人生は違った方向に行く。その人の人生が狂うこともある。兄が亡くなり、そして母親はクスリを断つことができた。霊能力に蝕まれそうになったけど、運命の女性に出会うことが出来た(恐らく女性キャスターとプロデューサの間には隙間風が吹きつつあり、今後彼らの関係がより発展するこもなさそうですし)。
悲惨な目にあって人生狂っても、そこから何かがまた起こる。『ミスティックリバー』にしても『チェンジリング』にしても、ホントにこの終わり方で良いのか、と困惑する部分もありましたが、『ヒアアフター』はストレートな人間賛歌と思えたのですが、私は単純でしょうか。

 あと、帽子が風でフワッと飛ばされる瞬間は良かったですね。
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【2011/03/08 23:29 】 | アメリカ映画 | コメント(2) | トラックバック(1) | page top↑
『4枚目の似顔絵』チョン・モンホン監督
ホウ・シャオシェンとも違う、エドワード・ヤンとも違う新しい才能現る
4maime.jpg 3/6(日)大阪アジアン映画祭に出かける。シネ・ヌーヴォにて、まずは1本目は台湾映画の『4枚目の似顔絵』を観賞。
 傑作でした。チョン・モンホン監督、う~ん、初めて聞く名前です。ちんけな愛すべきチンピラ、年端のいかない子供、バイクや自転車の乗り物・・・が出てくるので、思わずホウ・シャオシェンの映画を連想してしまいます。そのチンピラも盲目の弟、痴呆気味の父親と同居して暮らしている(隕石が直撃したような家が凄い)という事実が明かされ、チンピラさんの人物背景に深みが増します。
 ホウ・シャオシェンの映画と別け隔てるものは、音楽の質と役者さんの顔面のアップを丁寧に撮ることでしょうか。役者さんの顔面のアップを観ていても嫌味がなくて素晴らしいです。かといって引き画もきっちり決まっている。ラスト近く、用務員のおじさんと少年が話しながら歩くロングショットは素晴らしかった。それにしても、 幽霊が実際に画面に出てくると盛り上がりますね。しかも心霊実話テイストな雰囲気で幽霊がぼんやりと立っています。
 フィルムで丁寧に撮影された画が大変に美しいです。デジタル画像を見慣れて久しいですが、やっぱりフィルムの力は凄い。夕闇に紛れた台湾の田舎の情景が、大変美しくダイナミックに撮られています。絵になりますね。
 それにしても台湾の風景は凄い。工場の煙突から空に向かってモクモクと白煙が吹きあがっている風景には驚いた。あんな漫画のような風景が実際の台湾にあるのですか。凄いですね。思わず『ゴジラ対ヘドラ』の主題歌の「返せ太陽を!」を歌いたくなった。

~水銀、コバルト、カドミウム、鉛、硫酸、オキシダン、シアン、マンガン、バナジウム、クロム、カリウム、ストロンチューム、汚れちまった海、汚れちまった空、生き物みんな居なくなって、野も山も黙っちまった~。

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【2011/03/07 22:36 】 | 中国映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『ふゆの獣』 内田伸輝監督
カット割りの多い神代辰巳、みたいな
huyunokemono.jpg評判の高い『ふゆの獣』を観賞。
これはホントに映画なのでしょうかか?、それとも役者が芝居をしているのを撮っているだけなのか、と戸惑って最初は観ていました。でもどんどん映画になってゆくのです。特にユカコとシゲさんが、互いの部屋のスペアキーを返す・返さないのくだりから、あの狭い部屋の空間で、”ユカコ”さん(加藤めぐみ)と”シゲ”さん(佐藤博行)を交互に正面から捉えたショットを挟むあたりから、あぁ映画が始まったという感じがして入っていけました。
 出てくる舞台は、ワンルームマンションの一室と、地下通路と、ビルの屋上だけで映画を撮れてしまう、ってしまうという。撮影と音響の技術的には、先のCO2の作品に比べて落ちるんですが、全然面白いです。あの荒々しいズームアップとかね。わざとやってるんでしょうけど。技術の荒っぽさが、かえって役者の生っぽさを生かしているような感じもします。

 役者が素晴らしいです。自然な演技というのではなく、ちゃんと作り込んだお芝居で見せきっています。とにかく”シゲ”さんが最高。香港映画のルイス・クーを思わせるワイルドな風貌をしていて、それでいて、すっとボケた感じがして最高。よく見たら”シゲ”さんの部屋は本棚の上に洗剤と柔軟剤のレノアが置いてあったりして、かなり生活感丸出しです。
”ユカコ”さんは日本一ペットボトルの似合う女優。お茶をラッパ飲みでぐびぐび飲んだり、飲料水とタオルで全身をぬぐい始めたりする姿が最高です(しかし何でビルの屋上でそんなことを?)。厚い唇が情のあつさを感じさせますねぇ。”サエコ”さん(前川桃子)のおっとりした感じもよいし、何と言っても”ノボル”さん(高木公介)の、いかにも周りが見えてません、という直情ぶりが素晴らしい。

 マンションの一室、地下通路、ビルの屋上と狭苦しい場所で映画が進みながら、最後には思いっきり開放的な空間に行くのが良いです。”シゲ”さんが、マンションの窓を開けて垣根を乗り越える瞬間が盛り上がります。さまよいながら走る”ユカコ”さんもカッコいいです。
 何か題材的に、役者への迫り方などに、神代辰巳の映画を彷彿とさせますが、長回しを一切しないところが素晴らしい。全体的なショット、役者の顔面のショットなど、つぎつぎとショットが切り替わって行く。聞けば、2台のカメラを用いて、同じ場面を何回に別けて撮影したらしい。大変な撮影だったろうなぁ、偉いなぁ、と思います。
 音響は生活音を多く取り入れています。その分、踏切の音のカランカランという音がちょっとわざとらしい気もしたかな。

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【2011/03/06 22:19 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『花つみ日記』 石田民三監督
日本映画の範疇を超えています!
hanatumi.jpg『花つみ日記』を大阪シネマフェスティバルで観賞。石田民三監督の映画を初めて観た。何だこれは、ヨーロッパ映画のようだった。大変素晴らしく感動致しました。心温まる友情物語とかいう生易しい感じではなく、かなり悲痛なものがあると感じた。
 コントラストの強い画調が印象的でした。”影”の演出が凄かったです。カール・ドライヤー級の影の使い手とみた!。何故かちょっと、教会とか十字架も出てくるし。大阪城はまるで墓標のように、栄子さん(高峰秀子)とミツルさん(清水美佐子)の背後に写っていたなぁ。どこからどこまでが自然光なのか判然としませんが、一体どれだけ斜めから光線を当てているのだろう?と思いました。

~影絵のようだ~
 映画の冒頭、水飲み場で女の子が顔を押し付けられて、水がかかってその後ふざけて走る場面があるのですが、校舎の壁に彼女たちの姿が影絵のように焼き付いていて、その影が舞い踊っているかのようであった。路地、ピアノ教室、校舎の片隅など、至る所に濃い影が画面に焼き付いている。栄子さん(高峰秀子)とミツルさん(清水美佐子)が仲違いした後、高峰秀子が物思いにふけっている場面がありますが、彼女の前に植物状のものが濃い影を落としている。
 前半部は夏の強い日差しを感じさせますが、後半部は冬の場面になるので、影の濃さはやや薄くなりますが、女子学生の制服が色の黒い冬服になり、彼女たち姿が影のようにフィルムに定着する!
 影だけではなく、光の反射も凄くて、バスの中でミツルちゃんを見つめる栄子ちゃんの見た目のショットでは、バスの窓枠がキラキラと反射している。また後半では栄子さんがのおもちゃの指輪の反射がキラりと光る。
 私は石田民三監督のことを全然知りませんが、恐らく光と影への感性が鋭かった人なのではないか、と想像します。いや、一作だけで決めつけてはいけませんが。

~絶対に切り返さない~
 栄子さんとミツルさんの二人の女子中学生が主人公。彼女たちをカメラで捉えるとき、構図、逆構図の切り返しは絶対にしていません。必ず二人が画面に収められており、そのため人物を撮るとき、引き気味のショットが多いです。
 ややもすると醒めた感じになりそうですが、要所要所で微妙にカメラが移動するので、余韻が残るようになっている。
 栄子さんがミツルさんを自宅に初めて招き入れる場面。ある部屋では芸子さん達が太鼓の練習をしていて、また隣の部屋では芸子さん達が踊りの練習をしている。栄子さんがミツルさんの動きに合わせて、カメラが部屋から部屋へパンする。あ、そこはワンショットでやっちゃんだ、と観ていて嬉しくなりました。

~歌が良い~
『花つみ日記』は歌が良いよですねぇ。冒頭の校庭を庭でお掃除している場面の歌声。ピアノの先生が歌っているとき、教室の外に集まった女子学生たちの声の方がどんどん大きくなってゆく場面。ここでのグルーブ感が凄い。
 或いは栄ちゃん(高峰秀子)が電車の中で歌って、別の場所でミツルちゃんがハイキング中に歌って、彼女たちが互いにカットバックされて合唱のようになっていく場面が凄い。歌のドライブ感が凄いです。

 栄子さんは女友達から絶交されたら、退学して芸子になったり、その女友達と再開したら病気に伏せる、という大変ドラマチックな破滅型の人生を若くして送っています。床に伏せる高峰秀子が『浮雲』と重なって感慨深い。
 しかし高峰秀子の日本語の発語の美しさは尋常ではない。15歳の女の子が、あんな綺麗な喋り方ができるなんて。高峰秀子を見たら、AKB48とか武井咲とか別に何とも思えなくなります。

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【2011/03/05 20:53 】 | 日本映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
劇場版『相棒-劇場版Ⅱ-』
東映プログラムピクチャの味わい
kisibe.jpg 劇場版『相棒-劇場版Ⅱ-』が予想以上に面白かった。派手な銃撃戦とかカーチェースとか無くても、構成がしっかりしていたら良い映画は出来あがるのだなぁ、と感心しました。
 前作の『相棒』が公開されたときケンシロウさんが褒めておられて「和泉聖治が復活した!」とか言ってたように思います。僕にはその良さが分からなくて「あんなタルイ展開の映画、どこが良いんですか?」などと言ってしまったのは恥ずべきことだった。前作はホントあれねぇ、マラソンとか海外派兵とか不要なエピソードが多すぎて辟易しました。Sファイルとかいうのも映画のマクガフィンとしては弱かったし。右京刑事(水谷豊)が犯人と電話越しにチェスをする場面の説得力の無さにも辟易だった。
ところが『相棒-劇場版Ⅱ-』はすみずみまで、調和と均衡がとれていてびっくりした。冒頭の港の空撮からして、オッと思わせた。そして狭い船内での銃撃シーン、エレベータの扉を介して小西真奈美の身体を引っ張り合うときのスローモーションの使い方など素晴らしい。
 映画が始まって、30分くらいしたら真犯人が分かってしまうという、この余裕ぶりが凄い。日活無国籍アクションと東映任侠映画をさりげなく現出させる余裕。
 ラストは銃撃でなく匕首で勝負をつける。水谷豊の腕の中で絶命する岸部一徳という構図だ。縄張り争いの抗争の果てに仲間のヤクザが刺され、主役のヤクザ(鶴田浩二とか高倉健とか)の腕の中で息絶える、という構図は、東映任侠映画で幾度となく繰り返されてきた。岸辺一徳の死にざまは、その変奏とみることができるかも。
 しかし映画前半部の中華街でのエピソードはちょっと蛇足だったかしらね。何の伏線にもなってないし。

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【2011/03/04 20:37 】 | 日本映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その3
昨日からの続きです。


『スクラップファミリー』加治屋 彰人監督
ラストで刑務所から出所してきた娘の早紀が、突然横を向いて走りだす瞬間が素晴らしい。これと似たような疾走場面は他にもあり、ダッチワイフを捨てる母親と、彼女を追いかけるおじいちゃんの追いかけっこは素晴らしかったと思います。
 画面手前を子供が走り抜けて画面奥の高校生にとび蹴りを喰らわす場面とか、ダッチワイフを海に流す場面で祖父と見守る夫婦を奥行きのある画面に収めるとか、ひとつひとつのショットはハッとさせるものがありました。
 母親の保子のハイテンション演技が映画全体を乱しているように思えます。父親、母親、祖父、子供で演技の質が統一されていないように思えて、どうもしっくりとこなかったかな。
 それと、どうも家族がスクラップしていないし、孤独でもないように思える。そんな変わった家族でもなくて、どこにでもいそうな感じ。娘の早紀さんにしても、年頃の女の子だったら、あれくらいのことは両親に向かって言うんじゃないかしら。「私は不良品なのよ」って、いやいや、早紀さんは可愛いし性格も良いし、十分に良い人間に見えますよ。
 浮浪者を暴行する少年達を止める早紀さんのくだりの描写が生々しい。ひょっとして、これは正義の映画だったのかもしれません。思った以上にアツい血がこの映画には流れていたのか?


『新世界の夜明け』リム・カーワイ監督
『適切な距離』を観ていたら、隣の席に四角い眼鏡をかけた男性がひとり座って、良く見たらリム・カーワイ監督その人でした。さらにその隣には遅れて、加治屋監督がやってくるという。
 『新世界の夜明け』のラストの御都合主義的に、数々の問題が片付くのは、御愛嬌。何で高利貸のワタナベさんが融資するのか、祖父は急に外人を受け入れるようになったのか・・・まぁ良いじゃないですか。クリスマスはお祭りなんだし。
 こうも中国人をステレオタイプに描くのか、という違和感がありました。中国人のマフィアはまるで昔の日活無国籍アクション映画に出てくる中国マフィアのようだ。水商売で働く中国人のアヴィさんの、いかにも中国人っぽい日本語の発語の仕方は何なのでしょう。「~~アル。」って言う喋り方、ホントに中国人がするのかしら。

 かつて毛沢東的な共産主義を打倒しようとしたエリ(子供の母親)を、流血の時代とは無縁の世代のココ(富裕層の娘)がお金の力で救出する。そのココに日本の浮浪者のおじさんが毛沢東の詩集をプレゼントする。喜ぶココ・・・うん?この複雑で高度な展開に私はついていけなかった。思想的にどうなんだろう?何か錯綜しているような・・・、いや私は何か見落としているのか。それともアイロニーなのか?
 エリはこの光景を見てどう思っているんだろう?・・・「こんなもの!」とばかりに毛沢東の詩集を海にでも投げ捨てたりとかしたら面白かったかも。
 そのココさんも中国から来たのだから、お金の力に頼ることなく裸一貫で最後までいて欲しかった。中国の彼氏からの経由してボディガードが付く、というのは反則じゃなかろうか。あのボロくて狭い宿泊施設に泊まってこそ、真の国際交流じゃないですか。
 むしろ、ホテルで働く中国出身のボーイさんに日本の大学教育の実情を語らせたり、中国人のココを見た日本人が「あの日本人かわいい」と間違えたりするのが、生々しくて良かったと思います。辺にマフィアとか出さずに、こういう方向性で頑張っていたら・・・ん?何か良い感想を一言も述べていないかも?ごめんなさい!リム・カーワイ監督。監督さんは良い人ぽかったけど。多分、製作条件が厳しかったのかしら。『マジック&ロス』を今度のアジアン映画祭で観たいですぅ。

観客賞の投票というのがありました。最後に白状しますが『聴こえてる、ふりをしただけ』を4点、『適切な距離』を3点、『スクラップファミリー』を2点、『新世界の夜明け』を1点としたのでした。『新世界の夜明け』が観客賞に輝くという。ありゃりゃ、私の見立ては間違っているのかしら。

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【2011/03/03 00:04 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その2
『適切な距離』大江崇允監督
 そういう意味では大江監督の『適切な距離』は異物感を感じさせて、観た後にも頭を悩ませる。自主映画はやっぱこうでなくちゃ。というわけで『適切な距離』のグランプリおめでとうございます。
『適切な距離』というのは”現実との適切な距離”が測れていないこと。母親が日記を付け始めます。母親の日記は白バックに黒字で”何月何日”と出るので白昼夢を描写しているような印象を受けます。その日記の再現描写が現実よりもずっと生き生きとしていて、現実よりも現実に近いように思えるのです。現実を浸食しかねないような。
 何と言っても日本家屋を持ってきたのが素晴らしい。冒頭、息子の雄司が階段を下りてきて一階に来る。母親が食事をしている。ここでカメラは横サイドの位置にポジションを変える。がらんとして、殺風景で寒々とした日本家屋の空間が捉えられる。この母親と息子の心象風景を映し出しているようで素晴らしい。
 その日本家屋での現実の場面では照明が暗めになっていますが、母親の白昼夢の場面では明るく生き生きとした空間に生まれ変わるという。この空間のギャップが素晴らしい。
 息子の雄司は日記に見切りをつけ燃やしてしまいますが、この映画の凄いところは、架空の産物であるはずの、弟の礼司に実際に出会ってしまうことでしょうか。幽霊なのかドッペルゲンガーなのか良く分かりませんが。電車の座席で隣同士で向き合うという凄い場面があります。電車の窓ガラスに反射した映像に撮影スタッフが写り込んでいてもよさそうなものですが、何も写りません。どうなっているんだ。
 雄司は最も出会いたくない人物(弟)に出会いますが、母親の方はどうか。母親にとって最も出会いたくない人物は、元夫に違いないと思われますが、この場面が日記の架空の場面としてで処理されているというのは、どういうことなのだろう。食卓を囲む家族達。ちゃんと礼司は彼女も連れてきている。
 結局、この母親は日記の中で全てを処理してしまったのか?こんなんで良いのか?いやそもそも父親は実在していたのか?良く分からんかった。もう一度観ようかな。それにしても”階段”の不吉なイメージ!息子の雄司さんの面構えの強烈さ!

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【2011/03/02 22:57 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その1
 今年のCO2の上映展はアットホームな雰囲気でした。純粋な映画上映展の趣となりましたね。運営の母体が変わると映画祭の質がこうも変わるのかと思いました。去年までのCO2の上映展は、ライブとかアニメとか実験映像とかもあったのに。”どらビデオ”さんとか居ないの?
 以前のアナーキーな魅力が抑制されてちょっと寂しいかな。青山真治監督がが授賞式で泥酔していたのか、審査の席で喧嘩が始まったとか、昔はもうちょっとワイルドな味わいだったのですが・・・。大友良英さんが表彰式のときに凄いメールを送ってこられたのは去年のことだったでしょうか。CO2のCはカオスのC!と僕は思っていたくらいだぞw。
 肝心の作品はどれもこれもハイレベルなものでした。書いているうちに長くなってきたので、以降、3回に別けて感想を書き連ねます。


『聴こえてる、ふりをしただけ』今泉かおり監督
今回のCO2上映展は今泉かおり監督の『聴こえてる、ふりをしただけ』に超感動。冒頭、"さっちゃん"の上半身をゆっくりとカメラがティルアップするだけで、あぁこの映画は傑作になりそうな予感がした。『聴こえてる、ふりをしただけ』は成瀬巳喜男の『まごころ』にも比肩すべき女の子同士の愛憎の映画でした。
 もぅ泣けに泣けた。36歳のおじさんの僕の涙腺を直撃。ラスト近く、お守りを橋から放り投げて、さっちゃんが駆け出す。正面から彼女の顔を捉え、ボサボサの頭が徐々に動き出し彼女が号泣する。「あぁここで映画が終わってくれ!」と、スクリーンに向かって叫んだ(心の中で)。
 ここで映画が終わっていたら、成瀬巳喜男の『乱れる』もしくは、ツアィ・ミンリャンの『愛情万歳』のように感情断裂のラストになったかもしれない。まぁ贅沢言っちゃいかんが。黒沢清さんも仰るようにラストの予定調和気味がちょっぴり惜しい?
 それにしても最近の自主映画のカメラは凄いです。機材が凄いのか、カメラマンの腕が凄いのか。人物の背景がボケ気味なのに、狙った人物にピントがぴったり合っているという。背景から人物が浮き上がって見えるのです。『聴こえてる、ふりをしただけ』を観て、はじめてデジタルHDの映像を”美しい”と感じた。
 今までデジタルよりもフィルムの方が、ずっと美しいと思っていたのですが『聴こえてる、ふりをしただけ』では、女の子たちの顔をデジタル映像でずっと観ていたいと思えました。”さっちゃん”の少し虚無をまとった顔の表情の美しさ、知恵遅れ気味の女の子の”のんちゃん”の神様のような天然な顔。それでいて、満面の笑顔を浮かべながら相手を奈落の底に突き落とす、みたいな感じでした。
『聴こえてる、ふりをしただけ』を是非グランプリに!これがグランプリじゃなかったら俺は死んじゃう、とさえ思ったが、何か違うかなとも同時に思えてきたのであった。撮影・音響・役者の演技・・・などどハイレベルなクオリティーを追求するのが自主映画の(CO2の)進むべき道なのだろうか、と。
 何かエライもの観ちゃった、何か変なもの観ちゃった、と心に引っかかるものを観る者に残すのが自主映画の醍醐味でしょう。なんでもハイレベル、というのはちょっと違うか。

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【2011/03/01 20:52 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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