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元町映画館、いよいよ来週こけら落とし
motomachi1.jpg元町に新しい映画館ができます。来月の8月21日より、営業開始です。
近年、神戸界隈では三宮東映、シネカノン神戸、三宮アサヒシネマなどが閉館してゆきました。シネリーブル神戸とKAVCだけでは、なかなか全てのアート系の映画が神戸に来ない状態です(『紀子の食卓』『柔道龍虎房』など神戸で上映されませんでした)。

元町に映画を上映する場が根付けば素敵なことです。

今日は仕事帰りに、元町駅で降りて、元町映画館に行きました。
館主さんに丁寧に応対して頂きまして、ありがとうございました。

場内では映写技師の方が、映写機の調整を行っておられました。
いろいろ大変なようです。
スクリーンに光だけが映っているところを見せて頂きました。
フィルムを通さずに、映写機の光をスクリーンに当てたら、こんな感じになるのか。
大変に美しい光に思えました。光に打たれる、という感覚でしょうか。
『恐怖』(高橋洋)に出てくる、光の洪水のように似ていると感じました。
↓↓載せてしまいます。
motomachi2_1.jpg

本格営業に先んじて、来週の日曜日にこけら落とし上映が行われます。
一日だけ上映されます。

『要塞』←山形国際ドキュメンタリー映画祭で優秀賞を受賞した作品だそうです
平成22年8月1日(日) 料金:¥1,000均一
①10:30~12:20 ②12:50~14:40

劇場ホームページでご確認を。
↓↓
元町映画館
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【2010/07/28 23:00 】 | 元町映画館 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『アナボウ』の競技性を考える
相手を認める競技
ところで、
”アナボウ”とは相手を攻める競技ではなく、相手を認める競技であるという。
”受け手”と”攻め手”にどのような攻防戦が展開されるのか?
そもそも”相手を認める競技”とはどういうことか、噛み砕いて考えてみる。

”アナボウ”は見ず知らずの相手に身体をまさぐられる競技である、と・・・、つまり”アナボウ”という競技は、まず、受け手が攻め手に身体を委ねる競技なのでしょう。
自分の性感帯を攻められるうちに、恥ずかしさの極致を通り越して、身体を預けてながら攻め手を受け入れる、ということだと想像します。

受け手と攻め手の関係
では攻め手は何をするのか?これが問題です。
攻め手は、あまりサゾっ気を持って、受け手を攻めたてて欲しくは無いと思ます。
ある種の奉仕の精神を持って試合に臨むべきではなかろうか。
攻め手は、受け手の恥ずかしい様子をまるごと受け入れる、器の広さを持たなければなりません。
攻め手と受け手が一体となって恥ずかしさを突き抜けること、これがアナボウの持つ競技性・精神性なのだと思います。

”受け手”と”攻め手”の間に信頼関係がないと成立しない競技です。
つまり”受け手”と”攻め手”の気持ちのシンクロ具合が高ければ高いほど、高得点につながるのでしょう。

高度だ、実に高度な競技だ。
高度な技術および高い精神性を兼ね備えた者なければ、この競技を続けることできないでしょう。
アナボウ部の部員達が練習をボイコットしたのも、訓練の厳しさについていけなかったからではなくて、”アナボウ”の競技としての難解さ・高度さ、を理解しきれなかったからではないでしょうか。

もし”アナボウ”部員の間に、恋愛感情が芽生えたらどうなるでしょうか。
女子部員A「先輩、あなたのことが好きです!」
男子部員B「バカッ。恋愛と競技を混同するな。アナボウは競技であり、疑似性交の格闘技だ!競技パートナーとしてのお前を認めるが、私生活の恋愛相手とは認めん! お前は競技に集中するんだ。」・・・みたいな。
  ・
  ・
  ・
はっ、俺は一体何を書いているんだだだ。

最後の女子高生の表情
主人公の女子高生が、べつに好きでもない男子高生の性感帯を攻めて、彼を昇天させた後、彼女が見せる顔の表情をどう読み解くべきだろうか。やり遂げたという達成感ではない。相手を軽蔑しているわけでもない。満足感でもない。嫌悪感でもない。
何なのだろう。人間のサガや本性というものをジっと見つめているような表情に見えました。

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【2010/07/22 21:36 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『アナボウ』 常本琢招監督
大工原正樹監督特集上映にて鑑賞。
”あなぼう”と入力して変換キーを押したら、”穴棒”と出てきました。うむ、まぁ普通そうなるだろうど、この字の通りの『アナボウ』です。
 ジャンル別けするならば、『アナボウ』はセックスコメディに位置づけられるのかもしれません。確かに母おっ屋が股間を観客に向けたり、高校生がエッチな部活の練習に励んだりするのですが、不思議とエロい感じは薄く思えました。

 今回の”アナボウ”は全体の物語の導入部という位置づけであり、今後も話が発展してゆくのでしょう。次回作を観たいという欲望が書き立てられます。上映後、観客や監督の間で異様な盛り上がりを見せていたようです。

競技としての”アナボウ”の実態は、どんなものなのか、
甲子園の全国大会にはどのような他校の強豪高が出場してくるのか、
団体戦なのか個人戦なのか、
戦いが拮抗している判定決着はあるのか、それとも延長戦が用意されているのか、
・・・などなど興味は付きません。

際どい競技のバリエーションや、今後の展開を考えるだけでも楽しくて、時間が尽きないのですが、・・・『アナボウ』の内容に触れます。

 村川透チックな演出が随所に見受けられました(常本琢招監督もお好きだそうです)。村川透の映画では、ありふれた街中の場所が、映画的な空間に変貌してゆきます。横断歩道、駐輪場、歩道橋、ビルの屋上、エスカレータ・・・などなどの、日常的な生活の風景が、突然、映画の場所になります。
 『黒い下着の女教師』でも歩道橋の上で女教師が詰め寄られる場面が印象的でした。あの映画ではプールサイドの美しさも凄かったですね。

 『アナボウ』では二人の女子高生と一人の男子学生が出てきます。高校生だというのに、教室の場面は一切出来ません(学校が出てきたとしても、グランドや門の入口だけです)。
 カットが変わって、細長い塔状の建物が画面いっぱいに現れます。この塔がアナボウの”ボウ”のことを指しているかどうかは分かりません。そのままカメラがちょっと乱暴にパンすると、二人の女子高生が道を歩いている姿が捉えられます。彼女達が街中をぶらぶらと歩き周ることにより、映画が展開してゆきます。

 男子学生が好きな女子高生を追いかける場面では、彼の背後を手持ちカメラでぐいぐい追いかけていって、狭い入り組んだ路地を駆け抜けてゆきます。まるで『もっとも危険な遊戯』のラストでの松田優作の疾走場面を観ているかのようでした。

”アナボウ”は恐らく室内競技であると思われます。室内で、競技にふける男女の姿をどのように描くのか、興味がつきません。

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【2010/07/21 21:54 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』
hotohoto.jpg素晴らしい映画でした。姉と弟が互いに喋る場面でも、余計なカメラの切り返しなどしません。カメラはじっくりと腰を据えてこの兄弟をひとつのフレームの中に収め続けます。
黒沢清監督は幽霊を撮るのが上手い。塩田明彦監督は子供を撮るのが上手い。大工原正樹監督は情念の女を撮るのが上手いのでありましょう。
もう何回か観てみたいとも思うのですが、今は第一印象を感覚的に書き連ねます。

前を行こうとしても行き止まり。後ろにも引き返せない。
映画の最初から最後まで、兄弟(長宗我部陽子と岡部尚)は、同じ場所をグルグル周っているように思えます。
舞台となるも千葉県木更津市が、閉鎖的な空間に思えます。
その街の中の空間に閉じ込められているような感じです。

感覚的な言い方ですが、
ひとつの箱を開けたら、中にまたひとつの箱が入っていて、その箱を開けたらまた中に別の箱が入っていて・・・というふうに、無限に次々と狭い場所に閉じ込められてく感じです。

実際、この兄弟は狭い空間に閉じ込められます。
彼らが部屋を出入りする描写が欠けているのです。
例えば、姉と弟は旅館の一室に泊まりますが、部屋に出入りする場面はありません。
この旅館で最初から姉と弟はひとつの部屋の中に既に居ます。
映画館の男子トイレに居る場面でも、最初からはトイレの中に座っています。
兄弟が昔住んでいた家に辿り着く場面でも、兄弟は家の玄関をくぐることは無かったです。何故か弟の方がカギを開けていて、先に家の中に入るのです。

そして映画のラストで、いよいよ兄弟は暗い狭い閉鎖的なトンネルに辿り着きます。岡部尚がビンの中に蟲を詰め込んで、”ホトホト様”に捧げているという設定ですが、このビンの中に閉じ込められて、身動きが取れないでいるのは、兄弟の方なんじゃないか、とも思います。

こうしてみると、非常に窮屈な映画のようにも思えてきますが、何故かホッとするものがあります。
映画のラストで、寝ている姉が弟に向かって「手をつないで良いよ。」というセリフで終わるのが、何とも言えず良いのです。この兄弟は堂々巡りを繰り返すかも知れない。でも兄弟で居れば、大丈夫、みたいな・・・感じでしょうか。

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【2010/07/20 21:46 】 | 自主映画 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
大工原正樹特集上映 エロチックコメディからサイコサスペンスまで。
大工原正樹特集上映にて、
『マネキン』『探偵の恥辱』『美雪の災難』『ガスマスク』『寒い国から新谷尚之』『奴らを天国へ』『下宿へ行こう!』
を7月17~18日の二日間で立て続けに干渉しました。Vシネマやカラオケビデオとして製作されたものですが、どれもこれもハイレベルな作品でした。どうやったら撮影期間6日間程度で、このような映画が出来上がるのでしょうか、不思議です。
ishikawa.jpgiwasaki.jpg『奴らを天国へ』などは、監督が主演女優に初めて顔を合わせたのは、撮影初日の前の日の21時だった、とお聞きしました。

岩崎静子や森田亜紀をはじめとする女優さんが大変魅力的に撮られています。対する男優さんの演技の上手さにも感動しました。諏訪太郎は言わずもがな、『探偵の恥辱』の探偵役、『奴らを天国へ』の元ヤンキー(長岡尚彦)と編集者(大久保了)とヤクザ(高杉航大)などは大変に演技が達者なように思えます。
安定感のある男優陣の中に、魅力的な女優をポンと置くことによって、より彼女の魅力が引き立つのかもしれません。

ライリー警部さんが”隣の人間国宝”と評されていましたが、まさにその通りのお人でした。”大工原正樹”という固有名詞が映画の前に出てこないのです。
”大工原正樹”監督の凄さを知らない人に、その凄さを説明するのが大変難しいです。「どこが凄いのか?」と聞かれたら、「全体的に凄いんですよ」などと、私は答えてしまいそうです。
突出した一本の代表作がある、というのではなくて、”大工原正樹”監督のフィルモグラフィーがまんべんなく、全体的に凄い、という感じです。つまりハズレが無いのです。

これほど質の高い作品を発表し続けているのに、作家性が全面に押し出てこないように感じました。監督の個性よりも映画の個性を大事にされているのだと思います。(もう少し”個性”を映画に付け加えたら、今頃は、是枝宏和や青山真治のような存在になっていたかもしれない・・・かも)
脚本家、プロデューサ、俳優、撮影、照明、音声などなお、映画を構成するものが一体となって生み出す、映画の磁場のようなものをきっと大切にされているのでしょう。

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【2010/07/19 00:20 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
大工原正樹特集上映 関西に来たる
今週末、耳よりな特集上映が、大阪のプラネットシアターという劇場で公開されます。
↓↓↓↓
大工原正樹特集上映 ~エロチックコメディからサイコサスペンスまで ~

daikuhara.jpg

各上映後に監督さんのトークがあります。
18(日)17:00からの回は特別トークゲストとして高橋洋さん(『恐怖』公開中)もいらっしゃるそうです。

【2010年07月17日 から 7月18日(日) まで 】
7/17(土)Aプロ 13:00~ Bプロ 15:00~ Cプロ 17:00~
7/18(日)Dプロ 13:00~ Eプロ 15:00~ Cプロ 17:00~

大工原正樹監督という御方は、映画美学校などで講師をされているそうです。 常本琢招さんや高橋洋監督とも、つながりがある御方だそうです。
 今年のシネドライブ2010で大工原監督の『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』『赤猫』とを拝見しました。シネヌーヴォXが満員になりました。観客が通路に座りながら観ているような状況でした。ちょっとだけ感想を書きます。

 『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』
全体的に大和屋竺の気配が漂っているように思えました。タイトルバックの歌がそう思わせるのでしょうか。
 兄弟(長宗我部陽子さん、岡部尚さん)が故郷に帰ってきます。故郷は閑散としています。時間軸が現在と過去を行ったり来たりしながら、ついには空間も歪み始め、トンネルに辿り着きます。そのトンネルで・・・。
映画館に貼ってあるポスターの種類が、全部異なっているところが印象的です。

『赤猫』
 あるマンションの一室に若い夫婦が居ます。妻(森田亜紀さん)が夫に色々と告白しながら映画が進行してゆきます。夫婦間の会話が繰り広げながら、思いがけない方向に、映画のスケールが広がってゆくところが凄かったです。

もう一度、観に行きます。宜しくお願いいたします。

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【2010/07/12 22:12 】 | 自主映画 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
『バリエラ』 イエジー・スコリモフスキ監督60年代傑作選
Barrier.jpg 『バリエラ』をメリンダさん(パラパラ映画手帖)達と鑑賞。映画を観て驚く。冒頭から驚く。
 こんなあほみたいに面白い映画が東欧にあったとは知らなかった。
 何なのだろう、このハチャメチャぶりは。ここまでやりたい放題ができるのか。
 『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』にも比肩すべき、ぶっ飛び映画であった。う~ん、上手く言えないのですが、ゴダールと岡本喜八(『あぁ爆弾』や『殺人狂時代』とか)を足したような映画と言えばよろしいでしょうか。

 映画の質が、リアリズムからフィクションに、一気に振りきられた感じである。
 『身分証明書』や『不戦勝』では、カメラが屋外に飛び出して、ポーランドの生々しい街並みが描かれていた。がしかし『バリエラ』は、冒頭から白バックの部屋の中において、映画が始まる。役者がカメラに面と向かってしゃべる。なんだかゴダールの『中国女』的な感じだ。
 その後も、夥しい数のローソクが立てられた場所、だたっぴろいパーティ会場など、非常に抽象的な空間において映画が進行する。ローソクた点った夜の道路で、男女が煙草を吸いながら向き合う。その背後を車のヘッドライトが、サーっと、現れては消えてゆくところなど、実に美しい場面でした。

よく怪我人が出なくて済んだものだ
 スタントマンでもない生身の役者に相当危ないことをやらしていますね。ヤン・ノヴィツキがジェットコースターからぴょーんと飛んで斜面を転がり落ちる(さすがにこの場面は人形を使っているのでしょう)。
 『不戦勝』で、電車を追いかけるバイクが車をよけながら走る場面はホントに危なっかしかった。『バリエラ』でも冒頭から、手を縛られた状態で、机の上から床に向かって頭から役者が落ちる。女が線路を歩いていて、身をかがめたら真上を電車が通過する。あとヤン・ノヴィツキが命綱なしに壁を登ったりします。バスター・キートンじゃないんだから、観ていて冷や冷やします。

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【2010/07/10 23:26 】 | ヨーロッパ映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『座頭市 THE LAST』を語る その2
arata.jpg では、そろそろ『座頭市 THE LAST』の感想をちゃんと述べましょう。
 私自身あまり阪本監督に特別な思い入れは特にありません。『闇の子供たち』で見られたような美少女趣味がちょっと見えなくも無いが、それでも良かったです。

 『座頭市 THE LAST』は観る者の心を揺さぶる日本映画だと思います。画面からこういう感触が伝わってくるのは日本映画では久しぶりの体験でした。悪い奴はちゃんと悪い奴のように、貧しい人はちゃんと貧しい人に見えるように、映画の作りがちゃんとなっているのは凄いことだと思うのです。
 本作の評価が低いような気も致します。この映画がキライだ駄目だと言うことは、日本がキライだ駄目だ、と言うことと、ほとんど同義語でありましょう。
 青春映画の王道パターンのように、主人公がラストで海にたどり着きます。また、目立たない端役に殺されたりするので、阪本順治監督はニューシネマがお好きなのだな、と思いました。(ちょうどフライシャーの『センチュリアン』やオルドリッチの『ハッスル』をプラネットシアターで最近観たばかりなので、余計に相思います。)

 ちょっと、夜も更けてきたので、眠くなってきました。
 すんまへん。続きはまた明日!!

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【2010/07/08 23:51 】 | 日本映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『座頭市 THE LAST』を語る その1
 『ローラーガールズ・ダイアリー』について書くことに、一生懸命になってしまい、『座頭市 THE LAST』について書くことを忘れていました。『ローラーガールズ・ダイアリー』、熱い映画でした。この8月にホクテン座でも上映するのか。参ったな。

oreta.jpg 『座頭市 THE LAST』を語るのも良いのですが、まずは勝新太郎の『座頭市』が脳裏をよぎります。
 私は三隅研次大好き人間なので『血笑旅』『喧嘩太鼓』『血煙街道』の3本が、何といっても好きですね。森一生や池広一夫のやつはあまり記憶に残っていません。私は好き嫌いの激しい人間かも。いけませんね。ようやく最近、田中徳三の良さが分かりかけてきたという。

 『血笑旅』の人情話は良かったねぇ。赤ちゃんのオムツを換える座頭市の背後にヤクザどもが集結して、じりじりと間合いを詰める場面は凄かったなぁ。「さっ、日当を払おう」とか言って、座頭市は、彼女との関係を男女の関係ではなく、雇用関係にしてしまうのは泣けましたね。
 『喧嘩太鼓』のカラッと陽性の魅力も忘れ難い。佐藤允が豪放磊落のイメージで良かったです。『血煙街道』での近衛十志郎の殺陣は凄かったですね。
 あと伊藤大輔が脚本を書いた『地獄旅』も良いです。御主人様と家来がでてきます。まるで『下郎の首』が乗り移ったかのような、”裏切りと信頼”のテーマが座頭市に導入されるのですよ。

『座頭市と用心棒』!!
youjinnbo/jpg 異色なところで、岡本喜八監督の『座頭市と用心棒』も印象に残っています。
 草野大悟や砂塚秀夫や岸田森など、東宝系の俳優さんが出演していて、目新しかったです。岸田森の”九頭竜”はかっこよかったわぁ。
 岡本喜八は『座頭市』に”戦争”を導入するのです。ある宿場町において、2つのヤクザの勢力が争っていて、映画のラストでは死屍累々の屍で埋め尽くされるという。身震いしました。
 ある場所に多くのお地蔵さんが置いてあって、そのお地蔵さんの中に砂金が隠されているという。最後、お地蔵さんの首が取れて、砂金がサーっと飛び散ります。『EAST MEETS WEST』の悪役のアジトの店先に、等身大の木製人形が飾ってあります。その人形の中に奪った小判が隠されていて、人形の首が取れたら、金色の小判がザーッとこぼれ落ちます。『座頭市と用心棒』と『EAST MEETS WEST』が、時代を超えてつながって、大変感動的でした。

それと『折れた杖』は悪夢的な映像で凄かったですね。何故か新世界公楽劇場でよく上映されることが多く、私は2回観ました。

んんっ、色々と思い出話をしていたら、『座頭市 THE LAST』について語る時間がなくなってきました。続きは、また明日~!!

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【2010/07/07 23:50 】 | 日本映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『ローラーガールズ・ダイアリー』 もうこのくらいにしておこう。
 一昨日、昨日と『ローラーガールズ・ダイアリー』を観て、興奮し過ぎました。
 勢いだけで文章を書いてしまい、かなり恥ずかしいです。この二日間、OSミントシネマで同じ映画を2回観たり、パンフレットを買ったりして、4200円使いました。わはは。

 『ローラーガールズ・ダイアリー』をペッキンパーに例えるのは、こじ付けが過ぎるように思えてきました。冷や汗をかいています。 補足のために(取り繕うために)、もうちょっと書き足します。
roller2 映画の最初の方で、エレン・ペイジは厚ぼったいダサイ眼鏡をかけていました。その眼鏡が外されるのは、いつのタイミングだったでしょうか。ちょっとよく覚えていません。
 エレン・ペイジの眼鏡を通した”視線”の行方が非常に気になります。

 実際、この映画では、エレン・ペイジが何かを見つめている場面、何かを見て気付く場面、が多いように思われます。エレン・ペイジの左右非対称な顔の造りから放たれる、とろ~んとした視線の行方に、私は胸をわしづかみにされてしまうのです。

 例えば、
 エレン・ペイジが母親とともに、都会街のオースティンにあるお店に靴を買いに行きます。母が父に電話をしている間、彼女は一人になります。そこに自動ドアが開いて、ローラースケートを滑らす一団が店内に侵入します。その一団はチラシを置いて、すぐにまた、お店の外に出ます。
 このときエレン・ペイジは、まずチラシに視線を向け、次に一団が出て行った自動ドアに向けて、いつまでも視線を向けています。そして、走る自動車の後部座席に居るエレン・ペイジは、窓ガラス越しに、まだ視線をオースティンの街の方向に向けて続けています。

 さらに例えば、
 エレン・ペイジがローラーゲームの入団テストを受けにオースティン行くため、バスに乗ります。このとき彼女はバスの窓から外界に視線を投げかけて、様々なものを見ます。ある決意を固めて出発するときに、今までとは違った風景がこの世界に立ち現れる。その外界のひとつに、お店で働く親友(アリア・ショウカット)の姿が混ぜられます。繊細な配慮だと思います。このほんの僅かな挿入ショットに心をかき乱されそうになりました。

 さらにさらに例えば、
 仲たがいをしていた親友と、仲直りをする場面。二人はタイル状の壁に背をもたれさせながら、会話をします。謝り続けるエレン・ペイジに対し、親友は自分が大学に受かったことや、田舎町街から抜け出すことを考えているを告げます。このときのエレン・ペイジは眼鏡をしていません。
 構図・逆構図による切り返しにより、この二人の会話の場面が組み立てられています。
 が、注意してよく観ると、二人の視線が交わらないように、二人の顔のアップショットの切り返しが行われます。親友(アリア・ショウカット)の顔は完全に首を90度横に向けて、こちら側の客席に視線を向けています。それに対し、エレン・ペイジの顔は45度くらいの角度で首を傾けており、あいまいな方向に視線が向いています。
 この切り返しのショットから受ける印象は、あぁ要するに彼女達は、今までのベタベタな関係からは卒業したのだな、ということです。二人はこれから成長して、互い道を歩んでゆくのでしょう。
 この場面のエレン・ペイジの顔を捉えるショットは、この映画の中ではちょっと浮いた感じになっています。ここだけドキュメンタリー的な要素が含まれているように思えました。

 映画のラストショットは、大きなブタのモニュメントの上に乗り、遠くを見つめるエレン・ペイジの姿で終わります。その視線の先には、オースティンの街があるのか?、よくわかりません。もはや観客は、彼女に感情移入する余地はありません。

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【2010/07/05 21:18 】 | アメリカ映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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