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『カニバイシュ』
 娘が子爵に求愛し結婚する。
 子爵が機械仕掛けの人造人間だということが結婚初夜に分かる。
 娘が自殺し、子爵も死ぬ。娘に横恋慕していた男も絶望して自殺する。

・・・と文章に書けば3行で済んでしまうことが、美しい映像とオペラにより長々と引き伸ばされる。映画の前半は、晩餐会も結婚式も夜の場面で占められており、ナイトシーンなどは実に丹精に撮られている。今回はTVの録画画像で鑑賞したが、映画館のスクリーンならさぞや美しい映像が観ることができただろう。
 で、夜の宴が終わって翌朝になると目を疑いたくなるような恐るべき事態が進行する。どんな内容かは、観た者の特権として、ここでは伏せておく。深い陰影に彩られ謎めいた映像を夜の場面でみせておきながら、映像に白々しい光が降り注ぎ始めると、破れかぶれのギャグが連打される。何なんだ、一体。
 マノエル・デ・オリベイラというポルトガル人の映画は初めて観たが、ここまで変わった映画監督が地球上に存在していたとは知らなかった。鈴木清純でもブニュエルでもここまではしまい。笑って済ますより他ないと思うのだが。
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【2007/05/05 23:17 】 | ヨーロッパ映画 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
『拳銃魔』
 「ハリウッド映画史講義」(蓮實重彦著)で『拳銃魔』(ジョセフ・H・ルイス)が紹介されていたのを読んでから、この映画が頭の片隅でずっと気になっていた。たまたま観る機会があったのだが、これが傑作であった。うーむ、低予算早撮りでここまで出来てしまうのか。男と女と自動車、そして拳銃というアイテムが揃うだけで、十分に活劇映画になる。S・フラーやR・オルドリッチのB級映画のように素晴らしい。
 それはそうと『拳銃魔』は自動車の使い方を見ているだけでワクワクしてしまう。カメラを自動車の内部において、運転席と助手席の2人の姿ごしに、どんどん風景が流れてゆく。
 事務所の金庫に男女が押し入って金を強奪した後、非常ベルが鳴り2人は逃げ出す。いち早く先に男が事務所を飛び出し階段を駆け下りる。男が扉を勢いよく開けて外に出るが、彼の後に続いてきた女に扉がビターンとぶつかる。このあたりの早撮りゆえの生々しさが妙にリアルで素晴らしいのだな。

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【2007/05/04 23:15 】 | アメリカ映画 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
『ナショナルアンセム』再見
 西尾孔志監督の出世作の『ナショナルアンセム』を再び観る機会に恵まれた。僕は今回で2回目だが、前回よりも観ていて興奮してしまった。
 それにしても本作が『呪怨』(清水祟)よりも先に撮られていることに感動してしまう。主人公の妹が病院を連れ出された後に下町の工場みたいな辿りつく。妹の頭上に2階があり、その2階をタタタっと駆け抜ける人物の足だけがカメラに収められるショットがある。これなんか『呪怨』で亡霊の男の子が背後をタタタっと走り抜ける場面に凄く似ていると思うのだが。まぁ偶然の一致かもしれない。
 がしかし『叫』(黒沢清)で医師の父親が自分の息子を殺害してしまい、父親が息子の亡霊に怯える、という場面があることを思い出してしまう。『ナショナルアンセム』では高校教師が自分の教え子を殺害してしまい、教師が教え子の亡霊に怯える場面がある。黒沢清は『ナショナルアンセム』を褒めたと聞く。もしや・・・でもまぁ多分偶然の一致。

 『ナショナルアンセム』には映画史的記憶、それも日本映画の記憶が雑多に散りばめられている。日本映画といっても小津や溝口や成瀬ではなく、黒沢清、北野武、青山真治、小中千昭、鶴田法男、清水祟といった日本映画の新たな夜明けを告げはじめた90年代の記憶が『ナショナルアンセム』のそこかしこに召還されている。鈴木清純の『殺しの烙印』までさりげなく引用されてしまう軽ろやかさ。
 模倣は独創性を欠いた身振りだと思われがちだが、『ナショナルアンセム』においては、私達のごく身近な生活空間で、黒沢を北野武をたやすく現出させてしまう魔術的な手さばきに興奮するのだ。
 が、どうして『ナショナルアンセム』のカメラ位置はどれをとっても素晴らしい。男子学生が歩道橋を歩く場面で、彼の背後に大阪城が写っているという驚愕のショット。起伏の激しい一本道をウネウネと上下しながら走る車を望遠レンズで捉えられた驚愕のショット。映画の冒頭、妹が歩くとすぐ隣でガーっと電車が走るショット。マンションの一室からカットを割ることなく、そのまま窓から眼下を捉えたカメラの移動。因みにその後に続く、乳母車の女性の隣に男が居るという場面は『444』(清水祟)の参照だろうと思われる。
 このように、とにかく一つ一つのカットが絶妙な絵に収まりきっているのである。その適切なカメラ位置を探し出すまでのロケハンにこそ成功の鍵を握っていたのだと思われる。恐らく西尾孔志は関西圏をひたすら歩き回って、絵になるカメラ位置を発見していったのだろう。

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【2007/05/03 20:55 】 | 映画監督 西尾孔志 | コメント(0) | トラックバック(1) | page top↑
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