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第7回CO2上映展を振り返る その3
昨日からの続きです。


『スクラップファミリー』加治屋 彰人監督
ラストで刑務所から出所してきた娘の早紀が、突然横を向いて走りだす瞬間が素晴らしい。これと似たような疾走場面は他にもあり、ダッチワイフを捨てる母親と、彼女を追いかけるおじいちゃんの追いかけっこは素晴らしかったと思います。
 画面手前を子供が走り抜けて画面奥の高校生にとび蹴りを喰らわす場面とか、ダッチワイフを海に流す場面で祖父と見守る夫婦を奥行きのある画面に収めるとか、ひとつひとつのショットはハッとさせるものがありました。
 母親の保子のハイテンション演技が映画全体を乱しているように思えます。父親、母親、祖父、子供で演技の質が統一されていないように思えて、どうもしっくりとこなかったかな。
 それと、どうも家族がスクラップしていないし、孤独でもないように思える。そんな変わった家族でもなくて、どこにでもいそうな感じ。娘の早紀さんにしても、年頃の女の子だったら、あれくらいのことは両親に向かって言うんじゃないかしら。「私は不良品なのよ」って、いやいや、早紀さんは可愛いし性格も良いし、十分に良い人間に見えますよ。
 浮浪者を暴行する少年達を止める早紀さんのくだりの描写が生々しい。ひょっとして、これは正義の映画だったのかもしれません。思った以上にアツい血がこの映画には流れていたのか?


『新世界の夜明け』リム・カーワイ監督
『適切な距離』を観ていたら、隣の席に四角い眼鏡をかけた男性がひとり座って、良く見たらリム・カーワイ監督その人でした。さらにその隣には遅れて、加治屋監督がやってくるという。
 『新世界の夜明け』のラストの御都合主義的に、数々の問題が片付くのは、御愛嬌。何で高利貸のワタナベさんが融資するのか、祖父は急に外人を受け入れるようになったのか・・・まぁ良いじゃないですか。クリスマスはお祭りなんだし。
 こうも中国人をステレオタイプに描くのか、という違和感がありました。中国人のマフィアはまるで昔の日活無国籍アクション映画に出てくる中国マフィアのようだ。水商売で働く中国人のアヴィさんの、いかにも中国人っぽい日本語の発語の仕方は何なのでしょう。「~~アル。」って言う喋り方、ホントに中国人がするのかしら。

 かつて毛沢東的な共産主義を打倒しようとしたエリ(子供の母親)を、流血の時代とは無縁の世代のココ(富裕層の娘)がお金の力で救出する。そのココに日本の浮浪者のおじさんが毛沢東の詩集をプレゼントする。喜ぶココ・・・うん?この複雑で高度な展開に私はついていけなかった。思想的にどうなんだろう?何か錯綜しているような・・・、いや私は何か見落としているのか。それともアイロニーなのか?
 エリはこの光景を見てどう思っているんだろう?・・・「こんなもの!」とばかりに毛沢東の詩集を海にでも投げ捨てたりとかしたら面白かったかも。
 そのココさんも中国から来たのだから、お金の力に頼ることなく裸一貫で最後までいて欲しかった。中国の彼氏からの経由してボディガードが付く、というのは反則じゃなかろうか。あのボロくて狭い宿泊施設に泊まってこそ、真の国際交流じゃないですか。
 むしろ、ホテルで働く中国出身のボーイさんに日本の大学教育の実情を語らせたり、中国人のココを見た日本人が「あの日本人かわいい」と間違えたりするのが、生々しくて良かったと思います。辺にマフィアとか出さずに、こういう方向性で頑張っていたら・・・ん?何か良い感想を一言も述べていないかも?ごめんなさい!リム・カーワイ監督。監督さんは良い人ぽかったけど。多分、製作条件が厳しかったのかしら。『マジック&ロス』を今度のアジアン映画祭で観たいですぅ。

観客賞の投票というのがありました。最後に白状しますが『聴こえてる、ふりをしただけ』を4点、『適切な距離』を3点、『スクラップファミリー』を2点、『新世界の夜明け』を1点としたのでした。『新世界の夜明け』が観客賞に輝くという。ありゃりゃ、私の見立ては間違っているのかしら。
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【2011/03/03 00:04 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その2
『適切な距離』大江崇允監督
 そういう意味では大江監督の『適切な距離』は異物感を感じさせて、観た後にも頭を悩ませる。自主映画はやっぱこうでなくちゃ。というわけで『適切な距離』のグランプリおめでとうございます。
『適切な距離』というのは”現実との適切な距離”が測れていないこと。母親が日記を付け始めます。母親の日記は白バックに黒字で”何月何日”と出るので白昼夢を描写しているような印象を受けます。その日記の再現描写が現実よりもずっと生き生きとしていて、現実よりも現実に近いように思えるのです。現実を浸食しかねないような。
 何と言っても日本家屋を持ってきたのが素晴らしい。冒頭、息子の雄司が階段を下りてきて一階に来る。母親が食事をしている。ここでカメラは横サイドの位置にポジションを変える。がらんとして、殺風景で寒々とした日本家屋の空間が捉えられる。この母親と息子の心象風景を映し出しているようで素晴らしい。
 その日本家屋での現実の場面では照明が暗めになっていますが、母親の白昼夢の場面では明るく生き生きとした空間に生まれ変わるという。この空間のギャップが素晴らしい。
 息子の雄司は日記に見切りをつけ燃やしてしまいますが、この映画の凄いところは、架空の産物であるはずの、弟の礼司に実際に出会ってしまうことでしょうか。幽霊なのかドッペルゲンガーなのか良く分かりませんが。電車の座席で隣同士で向き合うという凄い場面があります。電車の窓ガラスに反射した映像に撮影スタッフが写り込んでいてもよさそうなものですが、何も写りません。どうなっているんだ。
 雄司は最も出会いたくない人物(弟)に出会いますが、母親の方はどうか。母親にとって最も出会いたくない人物は、元夫に違いないと思われますが、この場面が日記の架空の場面としてで処理されているというのは、どういうことなのだろう。食卓を囲む家族達。ちゃんと礼司は彼女も連れてきている。
 結局、この母親は日記の中で全てを処理してしまったのか?こんなんで良いのか?いやそもそも父親は実在していたのか?良く分からんかった。もう一度観ようかな。それにしても”階段”の不吉なイメージ!息子の雄司さんの面構えの強烈さ!

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【2011/03/02 22:57 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その1
 今年のCO2の上映展はアットホームな雰囲気でした。純粋な映画上映展の趣となりましたね。運営の母体が変わると映画祭の質がこうも変わるのかと思いました。去年までのCO2の上映展は、ライブとかアニメとか実験映像とかもあったのに。”どらビデオ”さんとか居ないの?
 以前のアナーキーな魅力が抑制されてちょっと寂しいかな。青山真治監督がが授賞式で泥酔していたのか、審査の席で喧嘩が始まったとか、昔はもうちょっとワイルドな味わいだったのですが・・・。大友良英さんが表彰式のときに凄いメールを送ってこられたのは去年のことだったでしょうか。CO2のCはカオスのC!と僕は思っていたくらいだぞw。
 肝心の作品はどれもこれもハイレベルなものでした。書いているうちに長くなってきたので、以降、3回に別けて感想を書き連ねます。


『聴こえてる、ふりをしただけ』今泉かおり監督
今回のCO2上映展は今泉かおり監督の『聴こえてる、ふりをしただけ』に超感動。冒頭、"さっちゃん"の上半身をゆっくりとカメラがティルアップするだけで、あぁこの映画は傑作になりそうな予感がした。『聴こえてる、ふりをしただけ』は成瀬巳喜男の『まごころ』にも比肩すべき女の子同士の愛憎の映画でした。
 もぅ泣けに泣けた。36歳のおじさんの僕の涙腺を直撃。ラスト近く、お守りを橋から放り投げて、さっちゃんが駆け出す。正面から彼女の顔を捉え、ボサボサの頭が徐々に動き出し彼女が号泣する。「あぁここで映画が終わってくれ!」と、スクリーンに向かって叫んだ(心の中で)。
 ここで映画が終わっていたら、成瀬巳喜男の『乱れる』もしくは、ツアィ・ミンリャンの『愛情万歳』のように感情断裂のラストになったかもしれない。まぁ贅沢言っちゃいかんが。黒沢清さんも仰るようにラストの予定調和気味がちょっぴり惜しい?
 それにしても最近の自主映画のカメラは凄いです。機材が凄いのか、カメラマンの腕が凄いのか。人物の背景がボケ気味なのに、狙った人物にピントがぴったり合っているという。背景から人物が浮き上がって見えるのです。『聴こえてる、ふりをしただけ』を観て、はじめてデジタルHDの映像を”美しい”と感じた。
 今までデジタルよりもフィルムの方が、ずっと美しいと思っていたのですが『聴こえてる、ふりをしただけ』では、女の子たちの顔をデジタル映像でずっと観ていたいと思えました。”さっちゃん”の少し虚無をまとった顔の表情の美しさ、知恵遅れ気味の女の子の”のんちゃん”の神様のような天然な顔。それでいて、満面の笑顔を浮かべながら相手を奈落の底に突き落とす、みたいな感じでした。
『聴こえてる、ふりをしただけ』を是非グランプリに!これがグランプリじゃなかったら俺は死んじゃう、とさえ思ったが、何か違うかなとも同時に思えてきたのであった。撮影・音響・役者の演技・・・などどハイレベルなクオリティーを追求するのが自主映画の(CO2の)進むべき道なのだろうか、と。
 何かエライもの観ちゃった、何か変なもの観ちゃった、と心に引っかかるものを観る者に残すのが自主映画の醍醐味でしょう。なんでもハイレベル、というのはちょっと違うか。

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【2011/03/01 20:52 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
女の子映画祭 @カフェ裏CO2
 カフェ裏CO2の「女の子映画祭」に行ってきました。どれも5分程度の短い作品で、イメージ映像のような作品も含まれていたため、その一つ一つの素晴らしさを私は理解出来ていない可能性が濃厚だ。
 上手く述べられないかもしれないが、それでも無理して一気に3~5行ほどで感想を書くことにする。以下、エラそうなことを書いてしまい、すみません。



『残炎の候』監督●行貞公博
 ・・・全作品を通して最もかっちりとしたフィルム作品。凝縮した無駄の無いストーリー運び。主演の女の子がとっても色っぽくて、観ていてゾクゾクした。父親殺害場面の刹那的なカット割りも素晴らしい。


『utopianism』監督●垣原愛美
 ・・・電車が走る風景が出てきて、色々とイメージが組み合わさった映像。う~ん、この種のイメージ映像的なものに、観る者はどういう感覚で触れればよいのか、またどのように述べればよいのか分かりません。すみません。


『ヘンなメール』監督●秋枝友子
 ・・・このメールの送り主は一体どんな人物なのか? いや、そんなことはどうでも良い。予言や占いというのは外れるときが一番面白くエキサイティングというものである。最後にどんでん返しがあるのでは、と期待しながら観てしまった。しかし、この女の子は送られてくるメールという即物的かつ第三者的なものによって、性格まで変わってしまって本当に良かったのだろうか。うんにゃ、メールなどというもので、たやすく人の運命までも変わってしまうと言う、その危うさが狙いなのかも。


『蛍』監督●矢部ちひろ
 ・・・これもイメージ映像的な作品。上手く感想を言えず。すみません。


『さよなら公園』監督●吉川英理子、古賀朋子a.k.a.葉っぱの裏側シスターズ
 ・・・脱力系映画。「アルミホイルで何でも作れることに気づいたのよ」「首の座りが似ているね」微笑ましく観ていて心が和む。葉っぱの裏側シスターズのCDを購入。囁くような歌声。毎日聴き込きこんでいます(^_^)。


『コノ瞬間、無限。』監督●平岡香純a.k.a.カスミン
 ・・・アートフィルムという種類の映画は、まだ私には難しいです。


『実録ヲタクインタビュー シマゲプロジェクト』監督●木村莉菜
 ・・・フェイクドキュメンタリー、と観る前から知っていたわけではないが、シマゲさんが出てきた瞬間、あぁこの人は演技をしていると感じた。何故分かったか上手く言えないが、なんとなく分かった。インタヴュー中に彼が怒り出してもヤバさはもうひとつ感じられず、安心して観ていられる。このシマゲさん役の御方はきっと性格の良い人なのだろう。彼の服装から外観からもっと作りこむとか・・・う~ん、難しいね。


『2007年2月2日』監督●安川有果
 ・・・各場面が固定カメラでじっくりと撮られる。この種の映画は”淡々系”と揶揄されることが多いものだが、『2007年2月2日』は女の子の振る舞い・仕草に引き込まれる。机に向かう後姿を見ているだけで、結構惹かれる。かなり気に入りました。監督の安川さんは黒沢清がお好きらしい。


『胡蝶の夢』監督●藤本亜弥
 ・・・ブラッケージがお好きなのかな、と思いながら観ていました。上映後に監督さんご本人からもブラッケージがお好きと伺いました。季節的に生きた蝶々が確保できなくて、アニメの蝶々にしたのだとか。


『ウサギ★ララBYE!』監督●神農了愛(CO2第2回監督)
 ・・・素敵。こういうの好き。やっぱり自主映画はこうでないと。なんなのだろう、この面白くも怪しい雰囲気は。ウサギのかぶりモノをしているが、”おふざけ”と”真剣なギャグ”は違う。その証拠に各ショットは極めて真面目かつ丁寧に撮られている。放課後の教室、机を挟んで向き合うウサギ部部長と副部長の対話場面のショットの真剣さを見よ。

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【2007/03/12 23:30 】 | CO2 | コメント(611) | トラックバック(2) | page top↑
『9.11-8.15 日本心中』
sinnjuu.jpg  大阪の心斎橋にある裏CO2にてドキュメンタリー特集上映に参加。関東でしか上映されなかった『9.11-8.15 日本心中』を鑑賞。  劇中人物がやりとりする会話の中身は、高度に知的かつ哲学的な内容だったので、僕には6割方理解できなかった(すみません(>_<))。だが映画全体には惹かれるものは感じました。最後に小屋が爆発炎上するのにも、ちょっと驚いたりして。
 平和であることが既に暴力に加担しているのではないか、という椹木野衣さんの言説にウゥっとなりました。
 いずれにせよ勉強不足&知識不足なので、この映画の感想は述べる資格はありません。分厚い読みごたえのあるパンフレットを読んで勉強しまっす。
 美術評論家の針生一郎という男が思想の検証の旅に出るのは良いとして、彼はどうして魚を盗み食いしたり、怪しげな見世物小屋を覗きに言ったり、遊園地にメリーゴーランドを乗りに行ったりするか、今ひとつ良く分からんが、まそれはそれで、彼は案外お茶目な人なのかもしれない、と思っておこう。
 少女が「飯が天です」と言ってビビンバを食べる場面が気になった。食事という人間の根源的な行いに、ひょっとしたら何かのヒントがあるのかも知れない。
 美術家の島倉二千六が”アッツ島の玉砕”の絵を完成し終えたところで彼は食事にありつく。京都の茶店みたいなところで、針生一郎と鶴見俊輔が食事する場面で、鶴見さんの唇に汁が垂れるのも妙に愛らしい。
 重信メイの美しさにも心が惹かれた(彼女だけ食事をする場面が無いが)。カメラも美しい。哲学的な内容のモノローグを喋る重信メイは、まるでゴダールの映画に出てくる女性のようなたたずまいではないか(例えが陳腐ですみません)。

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【2007/02/06 00:11 】 | CO2 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
『むち打たれる者 ドキュメント輪廻』『オープンスペースを求めて』『阿呆船 さかしまの巡礼』
 心斎橋のカフェ裏CO2にてドキュメンタリー特集上映を鑑賞。
 ベトナム反戦運動の頃に大阪で撮られた滅多に観ることのできない貴重なドキュメンタリーを観た。唐浩郎という御方はCO2の元締めをされておられる御方らしいが僕は良く知りません。ドキュメンタリーのジャンルに収まりのつかないエキサイティングな映画でした。

『むち打たれるもの』
 「構図に拘らずに撮りました」などという、唐弘雄監督の言葉をやすやすと信じてはならない。映画の冒頭、プラカードを持ったデモの男が急斜面をこちらに向かって歩いてくる。と、斜面に隠れた背後から自動車が姿をぬっと現して追突する。ばっちり構図決まっている。
 このドキュメンタリーの企画意図からすると、鞭打ち症患者の救済運動を世論から呼び込むような内容に仕上げるべきだと思うのだが、全然そうなっていないのが凄い。鞭打ち症患者はカメラの前で裸形をさらされるのだ。
 一切の感情移入を拒むカメラは鞭打ち症患者のありのままの姿を捉え続ける。顔の汗、虫歯を治した金歯、症状について喋る彼らの肉体がフィルムに克明に焼き付けられている。
 外界から隔絶した孤独な車内でマイクを向けられると、日頃仕事で使い慣れたタクシーも彼らの裸形を際立たせるための装置だ。タクシーの窓越しのインタビュー風景を、わざわざもう一台の別カメラを用意して撮影したりして、唐浩郎氏のドキュメンタリーの作法は徹底して引きの姿勢である。
 凄いなぁと思いつつも、これはカメラによる暴力なのではないかという疑念ももたげてくる。取材拒否の家庭の家の玄関で、「カメラは撮ってませんから、これは持ってるだけですから」。ってそんな映像を使用しても良いのかしら。
 社会運動の熱狂に乗っかろうとはしない、という頑とした意思は見受けられる。怪しげな整体師、精神科医、外科医、どこかの労働組合だか協会だかの局長、その他もろもろの立場がそれぞれに好き勝手なことを言うが、事態は何も進展の気配を見せない。ただ、鞭打ち症患者のブルブルとした体の震えが、観る者の心の何かに触れるか、それとも触れないか、という際どい勝負にかけている。

『オープンスペースを求めて』
 建設中のビルや高速道路が画面に映っているだけで、観る者を興奮させてしまう、という稀有な映画。ビル建設の努力、苦労などは全く伝わってこない。けたたましい映像の連打。上手く言えないが面白かった。
 ビル建設の様子が、植物の育つ様子を捉えて続けているような感覚に似ている気もしてきた。もしくは神の視点で下界の混沌を眺めているかのような感じ、と言ったら良いだろうか。
 観ていてびっくりしたのは、居るはずの建設作業員が画面に映らないことだ。完成したビルの全フロアに照明が灯される。だが人の姿はどこにも見当たらない。ひょっとすると彼らが作り上げたのは廃墟だったのだろうか。
 だとすると、完成後に、またいつの日か崩れるときがやってくる。ビルは着工から完成までの過程と、完成から着工への逆過程がコマ撮りで反復される。
 「大勢の市民が利用できるプロメナードになる」などと言いつつも、そのプロメナードなる場所に登場するのはたった一人の女性。なにやら寒々しい光景だ。
 ビル建設の物質的なフォルムに魅了されてしまった。あと「オープン、スペース、オープン、スペース・・・ヒューマン」と呪文のように繰り返される音楽にも。

『阿呆船 さかしまの巡礼』
 わかる人にはわかるのでしょうが、維新派の演劇は僕にはよく理解できていません。彼らのグロテスクな様子を観ていると、思わず『江戸川乱歩の恐怖奇怪人間』が頭をよぎってしまう私はイケナイ人間なのでしょう。すみません。
 がしかし、ここでも唐浩郎監督はドキュメンタリーの主体である演劇の舞台と寄り添い続けることをしない。ふとカメラが芝居小屋から離れると、すぐ隣で大都会が拡がっているという落差がつけられている。

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【2007/02/05 23:34 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(2) | page top↑
高橋洋氏と飲む会
 去る11月3日、心斎橋のカフェ裏CO2で高橋洋氏と飲む会に参加する。
 高橋洋氏の次回作も勿論ホラー映画だそうで、劇中劇を活用して恐怖を描くらしい。たぶん『女優霊2』のことだったと思う。
 『LOFT』の話になると高橋洋さんは、黒沢清にもっとアメリカンに撮ってほしいと仰っていた。『CURE』公開当時の頃から一貫して考えは同じなのだろうか。
 いわゆる小中理論に慣れてしまって『LOFT』の安達裕美があまりコワくなかった、人物をすっと遠景で立たせるという幽霊演出の小中理論に対するアンチテーゼのようにガバっと幽霊がおそってくるという清水監督の『呪怨』も出尽くしてしまった、小中理論や『呪怨』を超えるような恐怖演出が現れるだろうか、
 と、僕が恐れ多くも言ったら、
「さらにもっと怖い映画を撮る」と高橋洋さんは仰った。
 果たしてどのような恐怖が映画の未来にあり得るのだろう?良く分からないが、ウキウキと心待ちにしておこう。

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【2006/11/05 00:12 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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