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『ふゆの獣』 内田伸輝監督
カット割りの多い神代辰巳、みたいな
huyunokemono.jpg評判の高い『ふゆの獣』を観賞。
これはホントに映画なのでしょうかか?、それとも役者が芝居をしているのを撮っているだけなのか、と戸惑って最初は観ていました。でもどんどん映画になってゆくのです。特にユカコとシゲさんが、互いの部屋のスペアキーを返す・返さないのくだりから、あの狭い部屋の空間で、”ユカコ”さん(加藤めぐみ)と”シゲ”さん(佐藤博行)を交互に正面から捉えたショットを挟むあたりから、あぁ映画が始まったという感じがして入っていけました。
 出てくる舞台は、ワンルームマンションの一室と、地下通路と、ビルの屋上だけで映画を撮れてしまう、ってしまうという。撮影と音響の技術的には、先のCO2の作品に比べて落ちるんですが、全然面白いです。あの荒々しいズームアップとかね。わざとやってるんでしょうけど。技術の荒っぽさが、かえって役者の生っぽさを生かしているような感じもします。

 役者が素晴らしいです。自然な演技というのではなく、ちゃんと作り込んだお芝居で見せきっています。とにかく”シゲ”さんが最高。香港映画のルイス・クーを思わせるワイルドな風貌をしていて、それでいて、すっとボケた感じがして最高。よく見たら”シゲ”さんの部屋は本棚の上に洗剤と柔軟剤のレノアが置いてあったりして、かなり生活感丸出しです。
”ユカコ”さんは日本一ペットボトルの似合う女優。お茶をラッパ飲みでぐびぐび飲んだり、飲料水とタオルで全身をぬぐい始めたりする姿が最高です(しかし何でビルの屋上でそんなことを?)。厚い唇が情のあつさを感じさせますねぇ。”サエコ”さん(前川桃子)のおっとりした感じもよいし、何と言っても”ノボル”さん(高木公介)の、いかにも周りが見えてません、という直情ぶりが素晴らしい。

 マンションの一室、地下通路、ビルの屋上と狭苦しい場所で映画が進みながら、最後には思いっきり開放的な空間に行くのが良いです。”シゲ”さんが、マンションの窓を開けて垣根を乗り越える瞬間が盛り上がります。さまよいながら走る”ユカコ”さんもカッコいいです。
 何か題材的に、役者への迫り方などに、神代辰巳の映画を彷彿とさせますが、長回しを一切しないところが素晴らしい。全体的なショット、役者の顔面のショットなど、つぎつぎとショットが切り替わって行く。聞けば、2台のカメラを用いて、同じ場面を何回に別けて撮影したらしい。大変な撮影だったろうなぁ、偉いなぁ、と思います。
 音響は生活音を多く取り入れています。その分、踏切の音のカランカランという音がちょっとわざとらしい気もしたかな。
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【2011/03/06 22:19 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その3
昨日からの続きです。


『スクラップファミリー』加治屋 彰人監督
ラストで刑務所から出所してきた娘の早紀が、突然横を向いて走りだす瞬間が素晴らしい。これと似たような疾走場面は他にもあり、ダッチワイフを捨てる母親と、彼女を追いかけるおじいちゃんの追いかけっこは素晴らしかったと思います。
 画面手前を子供が走り抜けて画面奥の高校生にとび蹴りを喰らわす場面とか、ダッチワイフを海に流す場面で祖父と見守る夫婦を奥行きのある画面に収めるとか、ひとつひとつのショットはハッとさせるものがありました。
 母親の保子のハイテンション演技が映画全体を乱しているように思えます。父親、母親、祖父、子供で演技の質が統一されていないように思えて、どうもしっくりとこなかったかな。
 それと、どうも家族がスクラップしていないし、孤独でもないように思える。そんな変わった家族でもなくて、どこにでもいそうな感じ。娘の早紀さんにしても、年頃の女の子だったら、あれくらいのことは両親に向かって言うんじゃないかしら。「私は不良品なのよ」って、いやいや、早紀さんは可愛いし性格も良いし、十分に良い人間に見えますよ。
 浮浪者を暴行する少年達を止める早紀さんのくだりの描写が生々しい。ひょっとして、これは正義の映画だったのかもしれません。思った以上にアツい血がこの映画には流れていたのか?


『新世界の夜明け』リム・カーワイ監督
『適切な距離』を観ていたら、隣の席に四角い眼鏡をかけた男性がひとり座って、良く見たらリム・カーワイ監督その人でした。さらにその隣には遅れて、加治屋監督がやってくるという。
 『新世界の夜明け』のラストの御都合主義的に、数々の問題が片付くのは、御愛嬌。何で高利貸のワタナベさんが融資するのか、祖父は急に外人を受け入れるようになったのか・・・まぁ良いじゃないですか。クリスマスはお祭りなんだし。
 こうも中国人をステレオタイプに描くのか、という違和感がありました。中国人のマフィアはまるで昔の日活無国籍アクション映画に出てくる中国マフィアのようだ。水商売で働く中国人のアヴィさんの、いかにも中国人っぽい日本語の発語の仕方は何なのでしょう。「~~アル。」って言う喋り方、ホントに中国人がするのかしら。

 かつて毛沢東的な共産主義を打倒しようとしたエリ(子供の母親)を、流血の時代とは無縁の世代のココ(富裕層の娘)がお金の力で救出する。そのココに日本の浮浪者のおじさんが毛沢東の詩集をプレゼントする。喜ぶココ・・・うん?この複雑で高度な展開に私はついていけなかった。思想的にどうなんだろう?何か錯綜しているような・・・、いや私は何か見落としているのか。それともアイロニーなのか?
 エリはこの光景を見てどう思っているんだろう?・・・「こんなもの!」とばかりに毛沢東の詩集を海にでも投げ捨てたりとかしたら面白かったかも。
 そのココさんも中国から来たのだから、お金の力に頼ることなく裸一貫で最後までいて欲しかった。中国の彼氏からの経由してボディガードが付く、というのは反則じゃなかろうか。あのボロくて狭い宿泊施設に泊まってこそ、真の国際交流じゃないですか。
 むしろ、ホテルで働く中国出身のボーイさんに日本の大学教育の実情を語らせたり、中国人のココを見た日本人が「あの日本人かわいい」と間違えたりするのが、生々しくて良かったと思います。辺にマフィアとか出さずに、こういう方向性で頑張っていたら・・・ん?何か良い感想を一言も述べていないかも?ごめんなさい!リム・カーワイ監督。監督さんは良い人ぽかったけど。多分、製作条件が厳しかったのかしら。『マジック&ロス』を今度のアジアン映画祭で観たいですぅ。

観客賞の投票というのがありました。最後に白状しますが『聴こえてる、ふりをしただけ』を4点、『適切な距離』を3点、『スクラップファミリー』を2点、『新世界の夜明け』を1点としたのでした。『新世界の夜明け』が観客賞に輝くという。ありゃりゃ、私の見立ては間違っているのかしら。

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【2011/03/03 00:04 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その2
『適切な距離』大江崇允監督
 そういう意味では大江監督の『適切な距離』は異物感を感じさせて、観た後にも頭を悩ませる。自主映画はやっぱこうでなくちゃ。というわけで『適切な距離』のグランプリおめでとうございます。
『適切な距離』というのは”現実との適切な距離”が測れていないこと。母親が日記を付け始めます。母親の日記は白バックに黒字で”何月何日”と出るので白昼夢を描写しているような印象を受けます。その日記の再現描写が現実よりもずっと生き生きとしていて、現実よりも現実に近いように思えるのです。現実を浸食しかねないような。
 何と言っても日本家屋を持ってきたのが素晴らしい。冒頭、息子の雄司が階段を下りてきて一階に来る。母親が食事をしている。ここでカメラは横サイドの位置にポジションを変える。がらんとして、殺風景で寒々とした日本家屋の空間が捉えられる。この母親と息子の心象風景を映し出しているようで素晴らしい。
 その日本家屋での現実の場面では照明が暗めになっていますが、母親の白昼夢の場面では明るく生き生きとした空間に生まれ変わるという。この空間のギャップが素晴らしい。
 息子の雄司は日記に見切りをつけ燃やしてしまいますが、この映画の凄いところは、架空の産物であるはずの、弟の礼司に実際に出会ってしまうことでしょうか。幽霊なのかドッペルゲンガーなのか良く分かりませんが。電車の座席で隣同士で向き合うという凄い場面があります。電車の窓ガラスに反射した映像に撮影スタッフが写り込んでいてもよさそうなものですが、何も写りません。どうなっているんだ。
 雄司は最も出会いたくない人物(弟)に出会いますが、母親の方はどうか。母親にとって最も出会いたくない人物は、元夫に違いないと思われますが、この場面が日記の架空の場面としてで処理されているというのは、どういうことなのだろう。食卓を囲む家族達。ちゃんと礼司は彼女も連れてきている。
 結局、この母親は日記の中で全てを処理してしまったのか?こんなんで良いのか?いやそもそも父親は実在していたのか?良く分からんかった。もう一度観ようかな。それにしても”階段”の不吉なイメージ!息子の雄司さんの面構えの強烈さ!

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【2011/03/02 22:57 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
第7回CO2上映展を振り返る その1
 今年のCO2の上映展はアットホームな雰囲気でした。純粋な映画上映展の趣となりましたね。運営の母体が変わると映画祭の質がこうも変わるのかと思いました。去年までのCO2の上映展は、ライブとかアニメとか実験映像とかもあったのに。”どらビデオ”さんとか居ないの?
 以前のアナーキーな魅力が抑制されてちょっと寂しいかな。青山真治監督がが授賞式で泥酔していたのか、審査の席で喧嘩が始まったとか、昔はもうちょっとワイルドな味わいだったのですが・・・。大友良英さんが表彰式のときに凄いメールを送ってこられたのは去年のことだったでしょうか。CO2のCはカオスのC!と僕は思っていたくらいだぞw。
 肝心の作品はどれもこれもハイレベルなものでした。書いているうちに長くなってきたので、以降、3回に別けて感想を書き連ねます。


『聴こえてる、ふりをしただけ』今泉かおり監督
今回のCO2上映展は今泉かおり監督の『聴こえてる、ふりをしただけ』に超感動。冒頭、"さっちゃん"の上半身をゆっくりとカメラがティルアップするだけで、あぁこの映画は傑作になりそうな予感がした。『聴こえてる、ふりをしただけ』は成瀬巳喜男の『まごころ』にも比肩すべき女の子同士の愛憎の映画でした。
 もぅ泣けに泣けた。36歳のおじさんの僕の涙腺を直撃。ラスト近く、お守りを橋から放り投げて、さっちゃんが駆け出す。正面から彼女の顔を捉え、ボサボサの頭が徐々に動き出し彼女が号泣する。「あぁここで映画が終わってくれ!」と、スクリーンに向かって叫んだ(心の中で)。
 ここで映画が終わっていたら、成瀬巳喜男の『乱れる』もしくは、ツアィ・ミンリャンの『愛情万歳』のように感情断裂のラストになったかもしれない。まぁ贅沢言っちゃいかんが。黒沢清さんも仰るようにラストの予定調和気味がちょっぴり惜しい?
 それにしても最近の自主映画のカメラは凄いです。機材が凄いのか、カメラマンの腕が凄いのか。人物の背景がボケ気味なのに、狙った人物にピントがぴったり合っているという。背景から人物が浮き上がって見えるのです。『聴こえてる、ふりをしただけ』を観て、はじめてデジタルHDの映像を”美しい”と感じた。
 今までデジタルよりもフィルムの方が、ずっと美しいと思っていたのですが『聴こえてる、ふりをしただけ』では、女の子たちの顔をデジタル映像でずっと観ていたいと思えました。”さっちゃん”の少し虚無をまとった顔の表情の美しさ、知恵遅れ気味の女の子の”のんちゃん”の神様のような天然な顔。それでいて、満面の笑顔を浮かべながら相手を奈落の底に突き落とす、みたいな感じでした。
『聴こえてる、ふりをしただけ』を是非グランプリに!これがグランプリじゃなかったら俺は死んじゃう、とさえ思ったが、何か違うかなとも同時に思えてきたのであった。撮影・音響・役者の演技・・・などどハイレベルなクオリティーを追求するのが自主映画の(CO2の)進むべき道なのだろうか、と。
 何かエライもの観ちゃった、何か変なもの観ちゃった、と心に引っかかるものを観る者に残すのが自主映画の醍醐味でしょう。なんでもハイレベル、というのはちょっと違うか。

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【2011/03/01 20:52 】 | CO2 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『シネマトグラフ・オブ・エンパイア2』上映告知
『シネマトグラフ・オブ・エンパイア2』
「今、ヘラクレイトス以前、地球を叩き割る、無始源の狂恋」


名古屋シネマテークで開催される「第24回自主製作映画 Festival at Nagoya Cinematheque 何でも持って来い!」において、木村卓司(ケンシロウさん)監督の最新作『シネマトグラフ・オブ・エンパイア2』が上映されます。
詳細のスケジュールは下記をご参照ください。
このページの下の方にある”スケジュールはこちら!”の部分をクリックしたら、詳細が分かります。12月25日の夜20時50分の回のプログラムで、『シネマトグラフ・オブ・エンパイア2』は22時14分からの上映となります。
↓↓↓
第24回自主製作映画Festival at Nagoya Cinematheque何でも持って来い!

木村卓司監督のコメント
「上映時間1時間32分の気宇拡大な大自然大叙事詩です。何の論理もない初めてカメラを持った原始人が衝撃で撮り捲った様な岩が急な坂をゴロゴロ飛び跳ねつつ転がっている衝撃が延々続く映画を目指しました。」

前作の『シネマトグラフ・オブ・エンパイア』には何故か私も出演しておりました。今作は私は映画を観ておりませんので、まだなんとも申せません。名古屋まではちょっと遠くて観にいけないのですが、いずれ観れる日を楽しみにしています。感想はまたそのときに。

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【2010/12/21 22:52 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
明日11月23日(火)は、こぞって神戸映画資料館に行くべし!
神戸映画資料館で”GEIDAI-CINEMA #4 in KOBE”と題して、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻(ながい名称・・・)の4期生の修了作品5本が上映中です。同時に濱口竜介作品集も上映中です。
↓↓↓
GEIDAI-CINEMA #4 in KOBE

11月20日(土)に観に行きました。『海への扉』『cage』と黒沢清監督と芸大生5人とのトークショーを観てきました。お客さんの入りは、まずまず。客席の8割は埋まっているかしら。
翌日、11月21日(日)に残りの芸大生作品『teto』『浮雲』『真夜中の羊』を観に行ってビックリ。昨日集まっていたお客さん達の大半が潮が引くように消えてしまいました。黒沢清監督もトークの中で、「これらは必見です。傑作です」と仰ってプッシュされていたのに。これはどうしたことか。皆、有名人は見たいけど(僕もその一人ですが)、映画は観ないのか。それとも大阪ヨーロッパ映画祭?駅ビルシネマで大映映画?planetで西部劇?・・・に行っているのかしら。色々と誘惑は多いしね。

関西で自主映画の特集といえば、”シネ・ドライブ”とか”CO2”もしくは”シネマトグラフ・バトル・ロワイヤル”とかがあって、そこそこ観客を集める。だのに東京藝術大学作品と濱口竜介に何故、客が集まらないのかしら。関東から来た自主映画だから?、いやいや、”桃まつり”や”傑力珍怪映画祭”は、そこそこ集客していたぞ。

わざわざ関東から監督さんがお見えになって舞台挨拶もされるというのに、集まったお客さんが4名というのは・・・ちょっと厳しいものがあるぞ。
むむぅ、残すところ明日1日だけの上映となりました。芸大作品としては『浮雲』と『真夜中の羊』、濱口竜介作品は『永遠に君を愛す』のみです。少しでも多くの観客が集まるように、微力ながら紹介文を書くぞ(役に立つか知らんけど)。すみません。ちょっとだけネタばれも含んでいます。


『浮雲』長谷部大輔監督
osiri.jpg主役級の女優3人がお尻丸出しで頑張るステキ映画。
役者って大変やなぁ、と思いました。よくこのような内容の映画に出演されたものだ。松本夢子さん、ほたるさん、るびさん、本当に偉い。
お下劣な描写を重ねつつも”汚物”を画面にいっさい写さない、という点がこの映画の凄いところだと思います。”恥ずかしさ”が消失した一種のユートピアのような世界が描かれています。
羞恥心がかき消され、家族や血縁関係も曖昧にされてゆき、もう人間なんて全部溶けて消えて混ざり合ってしまえ、みたいな突き抜けをしているように思えました。レズプレイにふける女二人(片目の売春婦と放送部の先輩)の頭上から大量に降り注ぐローションには、そういったものを感じました。

『真夜中の羊』ヤング・ポール監督
miyamoto.jpg個人的にはもっとも気にいった一本。自信を持って面白いと人に勧められる作品。
何と言っても”気配”の演出が素晴らしい。空き物件の一軒家の2階に岡部尚が登る。ベランダに出る。ふと背後に気配を感じる。岡部尚が気配のする方向へ恐る恐る。するとカットが一気に変わって、そこにガーンと宮本りえの顔面のクローズアップ。この彼女の登場の仕方にやられました。『こんなに暗い夜』以来、宮本りえさんが好きなんですよ。
夜中、岡部尚の婚約相手が目を覚ます。二階のベランダに立つ宮本りえを見てしまう。彼女の背後に怪しげな気配が漂っている。もう婚約相手は宮本りえに魅入るしかない。
コーヒーカップを手ですすーっとゆっくりと払いのけてテーブルの下に落としてしまうだけのことで、怪しい気配が画面に満たされる(割れたコーヒーカップを画面に映していないことに注目。カップの行方を示さないのでコワさが増す)。
「出番です」と言われて出てきて、すぐに死んでしまう刑事さんの使い捨てぶりにも不気味さが増します。

色々と書きましたが、皆さんの目で観てもらうしかないです。かけつけましょう。書いているうちに、僕ももう一度観たくなってきました。

最後に爆弾発言。私、明日は仕事があります。神戸映画資料館に行けるかどうか、分かりません。すまぬ。

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【2010/11/22 22:49 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『アナボウ』の競技性を考える
相手を認める競技
ところで、
”アナボウ”とは相手を攻める競技ではなく、相手を認める競技であるという。
”受け手”と”攻め手”にどのような攻防戦が展開されるのか?
そもそも”相手を認める競技”とはどういうことか、噛み砕いて考えてみる。

”アナボウ”は見ず知らずの相手に身体をまさぐられる競技である、と・・・、つまり”アナボウ”という競技は、まず、受け手が攻め手に身体を委ねる競技なのでしょう。
自分の性感帯を攻められるうちに、恥ずかしさの極致を通り越して、身体を預けてながら攻め手を受け入れる、ということだと想像します。

受け手と攻め手の関係
では攻め手は何をするのか?これが問題です。
攻め手は、あまりサゾっ気を持って、受け手を攻めたてて欲しくは無いと思ます。
ある種の奉仕の精神を持って試合に臨むべきではなかろうか。
攻め手は、受け手の恥ずかしい様子をまるごと受け入れる、器の広さを持たなければなりません。
攻め手と受け手が一体となって恥ずかしさを突き抜けること、これがアナボウの持つ競技性・精神性なのだと思います。

”受け手”と”攻め手”の間に信頼関係がないと成立しない競技です。
つまり”受け手”と”攻め手”の気持ちのシンクロ具合が高ければ高いほど、高得点につながるのでしょう。

高度だ、実に高度な競技だ。
高度な技術および高い精神性を兼ね備えた者なければ、この競技を続けることできないでしょう。
アナボウ部の部員達が練習をボイコットしたのも、訓練の厳しさについていけなかったからではなくて、”アナボウ”の競技としての難解さ・高度さ、を理解しきれなかったからではないでしょうか。

もし”アナボウ”部員の間に、恋愛感情が芽生えたらどうなるでしょうか。
女子部員A「先輩、あなたのことが好きです!」
男子部員B「バカッ。恋愛と競技を混同するな。アナボウは競技であり、疑似性交の格闘技だ!競技パートナーとしてのお前を認めるが、私生活の恋愛相手とは認めん! お前は競技に集中するんだ。」・・・みたいな。
  ・
  ・
  ・
はっ、俺は一体何を書いているんだだだ。

最後の女子高生の表情
主人公の女子高生が、べつに好きでもない男子高生の性感帯を攻めて、彼を昇天させた後、彼女が見せる顔の表情をどう読み解くべきだろうか。やり遂げたという達成感ではない。相手を軽蔑しているわけでもない。満足感でもない。嫌悪感でもない。
何なのだろう。人間のサガや本性というものをジっと見つめているような表情に見えました。

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【2010/07/22 21:36 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『アナボウ』 常本琢招監督
大工原正樹監督特集上映にて鑑賞。
”あなぼう”と入力して変換キーを押したら、”穴棒”と出てきました。うむ、まぁ普通そうなるだろうど、この字の通りの『アナボウ』です。
 ジャンル別けするならば、『アナボウ』はセックスコメディに位置づけられるのかもしれません。確かに母おっ屋が股間を観客に向けたり、高校生がエッチな部活の練習に励んだりするのですが、不思議とエロい感じは薄く思えました。

 今回の”アナボウ”は全体の物語の導入部という位置づけであり、今後も話が発展してゆくのでしょう。次回作を観たいという欲望が書き立てられます。上映後、観客や監督の間で異様な盛り上がりを見せていたようです。

競技としての”アナボウ”の実態は、どんなものなのか、
甲子園の全国大会にはどのような他校の強豪高が出場してくるのか、
団体戦なのか個人戦なのか、
戦いが拮抗している判定決着はあるのか、それとも延長戦が用意されているのか、
・・・などなど興味は付きません。

際どい競技のバリエーションや、今後の展開を考えるだけでも楽しくて、時間が尽きないのですが、・・・『アナボウ』の内容に触れます。

 村川透チックな演出が随所に見受けられました(常本琢招監督もお好きだそうです)。村川透の映画では、ありふれた街中の場所が、映画的な空間に変貌してゆきます。横断歩道、駐輪場、歩道橋、ビルの屋上、エスカレータ・・・などなどの、日常的な生活の風景が、突然、映画の場所になります。
 『黒い下着の女教師』でも歩道橋の上で女教師が詰め寄られる場面が印象的でした。あの映画ではプールサイドの美しさも凄かったですね。

 『アナボウ』では二人の女子高生と一人の男子学生が出てきます。高校生だというのに、教室の場面は一切出来ません(学校が出てきたとしても、グランドや門の入口だけです)。
 カットが変わって、細長い塔状の建物が画面いっぱいに現れます。この塔がアナボウの”ボウ”のことを指しているかどうかは分かりません。そのままカメラがちょっと乱暴にパンすると、二人の女子高生が道を歩いている姿が捉えられます。彼女達が街中をぶらぶらと歩き周ることにより、映画が展開してゆきます。

 男子学生が好きな女子高生を追いかける場面では、彼の背後を手持ちカメラでぐいぐい追いかけていって、狭い入り組んだ路地を駆け抜けてゆきます。まるで『もっとも危険な遊戯』のラストでの松田優作の疾走場面を観ているかのようでした。

”アナボウ”は恐らく室内競技であると思われます。室内で、競技にふける男女の姿をどのように描くのか、興味がつきません。

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【2010/07/21 21:54 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』
hotohoto.jpg素晴らしい映画でした。姉と弟が互いに喋る場面でも、余計なカメラの切り返しなどしません。カメラはじっくりと腰を据えてこの兄弟をひとつのフレームの中に収め続けます。
黒沢清監督は幽霊を撮るのが上手い。塩田明彦監督は子供を撮るのが上手い。大工原正樹監督は情念の女を撮るのが上手いのでありましょう。
もう何回か観てみたいとも思うのですが、今は第一印象を感覚的に書き連ねます。

前を行こうとしても行き止まり。後ろにも引き返せない。
映画の最初から最後まで、兄弟(長宗我部陽子と岡部尚)は、同じ場所をグルグル周っているように思えます。
舞台となるも千葉県木更津市が、閉鎖的な空間に思えます。
その街の中の空間に閉じ込められているような感じです。

感覚的な言い方ですが、
ひとつの箱を開けたら、中にまたひとつの箱が入っていて、その箱を開けたらまた中に別の箱が入っていて・・・というふうに、無限に次々と狭い場所に閉じ込められてく感じです。

実際、この兄弟は狭い空間に閉じ込められます。
彼らが部屋を出入りする描写が欠けているのです。
例えば、姉と弟は旅館の一室に泊まりますが、部屋に出入りする場面はありません。
この旅館で最初から姉と弟はひとつの部屋の中に既に居ます。
映画館の男子トイレに居る場面でも、最初からはトイレの中に座っています。
兄弟が昔住んでいた家に辿り着く場面でも、兄弟は家の玄関をくぐることは無かったです。何故か弟の方がカギを開けていて、先に家の中に入るのです。

そして映画のラストで、いよいよ兄弟は暗い狭い閉鎖的なトンネルに辿り着きます。岡部尚がビンの中に蟲を詰め込んで、”ホトホト様”に捧げているという設定ですが、このビンの中に閉じ込められて、身動きが取れないでいるのは、兄弟の方なんじゃないか、とも思います。

こうしてみると、非常に窮屈な映画のようにも思えてきますが、何故かホッとするものがあります。
映画のラストで、寝ている姉が弟に向かって「手をつないで良いよ。」というセリフで終わるのが、何とも言えず良いのです。この兄弟は堂々巡りを繰り返すかも知れない。でも兄弟で居れば、大丈夫、みたいな・・・感じでしょうか。

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【2010/07/20 21:46 】 | 自主映画 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
大工原正樹特集上映 エロチックコメディからサイコサスペンスまで。
大工原正樹特集上映にて、
『マネキン』『探偵の恥辱』『美雪の災難』『ガスマスク』『寒い国から新谷尚之』『奴らを天国へ』『下宿へ行こう!』
を7月17~18日の二日間で立て続けに干渉しました。Vシネマやカラオケビデオとして製作されたものですが、どれもこれもハイレベルな作品でした。どうやったら撮影期間6日間程度で、このような映画が出来上がるのでしょうか、不思議です。
ishikawa.jpgiwasaki.jpg『奴らを天国へ』などは、監督が主演女優に初めて顔を合わせたのは、撮影初日の前の日の21時だった、とお聞きしました。

岩崎静子や森田亜紀をはじめとする女優さんが大変魅力的に撮られています。対する男優さんの演技の上手さにも感動しました。諏訪太郎は言わずもがな、『探偵の恥辱』の探偵役、『奴らを天国へ』の元ヤンキー(長岡尚彦)と編集者(大久保了)とヤクザ(高杉航大)などは大変に演技が達者なように思えます。
安定感のある男優陣の中に、魅力的な女優をポンと置くことによって、より彼女の魅力が引き立つのかもしれません。

ライリー警部さんが”隣の人間国宝”と評されていましたが、まさにその通りのお人でした。”大工原正樹”という固有名詞が映画の前に出てこないのです。
”大工原正樹”監督の凄さを知らない人に、その凄さを説明するのが大変難しいです。「どこが凄いのか?」と聞かれたら、「全体的に凄いんですよ」などと、私は答えてしまいそうです。
突出した一本の代表作がある、というのではなくて、”大工原正樹”監督のフィルモグラフィーがまんべんなく、全体的に凄い、という感じです。つまりハズレが無いのです。

これほど質の高い作品を発表し続けているのに、作家性が全面に押し出てこないように感じました。監督の個性よりも映画の個性を大事にされているのだと思います。(もう少し”個性”を映画に付け加えたら、今頃は、是枝宏和や青山真治のような存在になっていたかもしれない・・・かも)
脚本家、プロデューサ、俳優、撮影、照明、音声などなお、映画を構成するものが一体となって生み出す、映画の磁場のようなものをきっと大切にされているのでしょう。

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【2010/07/19 00:20 】 | 自主映画 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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